どうして母の日に花を贈るのか

2020年05月07日

世の中の男性たちに、言いたいことがある。

母の日というのは、もう20世紀になってから、アメリカで生まれた行事だ。ある人の母がとっても活動家で社会貢献をなさっていて、亡くられたときに彼女が大好きだったカーネーションという花を、娘さんが追悼式でが参列者の方に1本ずつ渡したそう。お母様が亡くなられた日は、その年の5月の第2日曜日だった。翌年も、娘さんは母の追悼に教会でカーネーションを配った。その活動に感銘を受けたときの大統領が、5月の第2日曜日を「母の日」と定め、国民に祝うようにした。

はっきり言って、私はそのストーリーにあまり興味はない。20世紀だし、アメリカだし(すみません)。それでも母の日は、良い行事だと思う。そしてみんなお母様にお花を贈ってほしいと思う。でも本当には、花でさえなくていい。

大人になってわかったことはいろいろある。お金の使い方とか大切さとか、ものを言うときは特にお願いをするときは相手の気持ちを考える、とか。あとは、親の気持ち。私は親どころか結婚さえしていないので、こんなことを言うのはヒンシュクだと思いながら、それでもどうしても言いたいので筆を(キーボードを)進めさせていただく。恵まれない家に生まれたとずっと思っていたけれど、それでも自分たちが与えられる限りのものを与えてくれた、父と母。そして大人になって、ずいぶん近い存在になった“母”という女性(だってもう同級生もみんなお子さんを育ててるしね)。そして男性という、必ず誰かの息子。

子どもの頃は、母が大嫌いだった。すぐ怒るし。それで父のことが大好きだった。いつも(少なくとも)私には優しいし、怒らないし。でも大人になってよく会うようになったのは母だ。性格も話も合わないけれど、彼女に会いたいと言われればできるだけ時間を作るようにしている。母は私のことを「良子ちゃん」と呼ぶ。子供だからだと思っていたけれど、今でも変わらずそう呼ばれる。多分母にとって私は、子供というか友達か後輩なのだと思う。父という苦労を最も理解してくれる、年下の女性。多かれ少なかれ、娘とはそういうものなのではないかと思う。でも。息子という存在は違うと思う。仕事をしていて女性と、とりわけ年上の女性とお話する機会が多い中で、そう思う。そして、男友達や年下の男性を見ているととりわけ思う。友達や後輩なんかじゃない。きっとあなたはお母様の、宝物なのよ、と。

「ありがとう」。ただそれだけで良いのだ。「ご飯作ってくれて」も「いつも心配してくれて」も、「産んでくれて」も「育ててくれて」もいらない。ただその一言を、一年に一回くらい言えればいい。その一言が、どれだけ彼女たちを幸せにすることか。だけど、それを言うのはとても難しい。これも大人になってわかったことだけれど、どんなに短くても、それが本当のことであればあるほど、口にするのは難しい。だから、花を渡すのだ。本当は花でもなんでもいい。だけどプレゼントがあれば、それだけで言葉はずっと、素直に相手に届けることができる。本当のことは、手ぶらではなかなか言えない(プロポーズに花を贈るのも多分同じ理由だと思う)。

世の中の男性たちに、言いたいことがある。世の中にはいろいろと複雑な家庭や親子関係があることを承知した上で、それでも言いたい。あなたたちは、みんなお母様の自慢の、世界で一番の宝物なのよ、と。そのことへの感謝を伝えられる機会はそうないから、だから世の中には母の日という行事があって、世界中にひろまって、その一言を、花に添えて贈るということになっているのです。