連載「いけ花とは何か」0 ~空間と季節感/この国の美しいもののすべて~

いけ花、あるいはたぶん、すべての日本の美しいものを理解するためのキーワードが2つある。それは、「季節」と「空間」だ。
着物や懐石、もちろんいけ花も、「日本らしい」、そう言われるもののほとんどは、19世紀まで1000年以上首都だった、ここ京都で生まれた。世界の人々はこのまちを、自然に恵まれた、美しく過ごしやすい古都だと思っているに違いない。確かに自然に恵まれた土地で、そのことによって、様々な文化が生まれた。しかし話は一筋縄ではいかない。京都は、四方を山に囲まれた盆地で、風が弱く空気が動きにくい。夏は地獄のように暑く、冬は人々を骨の芯まで冷え切らせる。世界には快適に過ごしにくい気候がいろいろとあるけれど、京都の問題はその湿度にある。どんなに頑丈な家を建てて自然を遮断しようとしても空気から逃れることはできないし、極度に高い湿度の下では、風が通らないと何もかもカビてしまう。だから京都の人々は、より厳しい夏に照準をあて、木で作った家に紙を仕切りに使い、このいわば「厳しい四季」と、共に生きることを選んだ。
そういう暮らしの中で、人々は少しでも快適に暮らすために知恵を絞った。蒸し暑さの中でわずかに吹き抜ける風を感じるための風鈴や、氷をかたどったお菓子。季節の厳しさから逃れるための知恵は、美しい季節の表現となった。だから日本らしいもののほとんどすべては、この季節に基づいていると言える。そういう日本文化の中で、花は特別だ。人々は咲く花によって季節を知る。だからいけ花では、何よりもその季節に合った花や色を選ぶことが重要である。

もう一点は、日本ならではの「空間」の作り方にある。いけ花は、西洋のフラワーアレンジメントに比べて、「花を少ししか使わない」や「ラインをいかしたいけかたをする」などと説明されることがある。これには、日本の「余白」の考え方がある。西洋画と日本画を比べるとわかりやすいけれど、背景の細部に至るまで緻密に描き込む西洋画に比べて、日本画ではモチーフだけを描き背景はばっさり何もない。これは、何もない「余白」が対象を際立たせるという考え方に基づいている。有名な尾形光琳の「燕子花図屏風」でも、本来ならその場にあったはずの背後の景色や水さえも省略し、余白をもってカキツバタの存在を強調している。花のみのデザインではなく、余白とのコントラストによって、美を完成させるのである。また同じことは花と器の間でも期待される。土や火を感じさせる素朴な茶色い器に瑞々しい葉っぱをいけたり、華やかな絵付の磁器に力強い枝をいける、など。2種類以上の花を使うなら、その花同士の対比も求められる。その他いけ花が飾られる場所には書や絵を飾ることも多いけれど、それらすべてとの小さな対比を積み重ねて、場合によってはたった一輪の花の力を、最大限に引き出すこと。そしてそのことによって、空間全体をデザインすること。そういう考え方をするのは、多分日本だけだ。

空間の扱い方と、季節の表現。それがいけ花と他のすべての日本文化を理解するための第一歩だと思う。

 


 

連載第2稿目にして「0」に戻るという・・・

どんどん話を進める前に、シンプルに説明しておきたくなってまとめた、空間と季節感のお話です。