このまちを、貫く美意識

2017年12月13日

12月に入ると、季節感のあるお花というのがなかなかない。
考えてみれば当然で、外に出ると花はひとつも咲いていない。花市場にはもちろんいろいろと華やかなお花があるし、なんだったらスイートピーやチューリップなんかもわりとふつうに出ている。水仙も良いけどやっぱり年が明けてから飾りたい気がする。それでいつもお花をいけにいかせていただいているお店には、クリスマスらしいお花や、ツリーやポインセチアなんかを持って行った。これなら季節感があって華やか。

西村花店の店内からはすっかりクリスマスの色がなくなり、お正月ムード。先日から、枝垂れ柳に紅白のお餅をくっつけていく「もち花」をせっせと作っている。今ではあんまり熱心に行われていないけど、12月13日は「正月事始め」。今日からお正月に向けて掃除をしたり正月飾りを始めたりする。鏡餅やもち花も、実は今日から飾り初めて良いことになっている。

なんにもお花がない時期に、柳の枝にお正月らしいお餅をつけるというのはまさに、季節感があって華やか。もち花は、新春というこの国で最も大切な季節を、華やかに告げる花だった。たぶん現代では、クリスマスが事始めの役割を果たしているのだろうと思う。「クリスマスが来たら、お正月もすぐそこ」。私たちはちゃんと、現代なりの季節感の中で生きている。

京都市の「新景観政策10年 総括シンポジウム」で、京都大学の鷲田先生が良い景観を残しているまちについてお話してくださった。フランスのパリならばシック、ドイツのグラスヒュッテ(時計のまちらしい)なら精密。良い景観を残しているまちは、建物もそこに暮らす人にも、共通の美意識に貫かれている。京都を貫く美意識はなんなんだろう。そのときはわからなかった。

鷲田先生、このまちを貫く美意識は、「季節感」だと思うのです。ソフトなものはいかに季節感に溢れているか、ハードなものはいかにその季節感を透かし滲み出させることができるか。そうであるならば、どんなに現代的でも最新でも「京都らしい」になり得ると思うのです。格子をつければ京都らしいじゃない。たとえコンクリートであっても、その壁に季節を映し出すことができるのなら、それはたぶん、京都らしい。

さてもうちょっと、お餅つけがんばろう。

本日、正月事始め也。

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