いけ花とフラワーアレンジメント

いけ花とフラワーアレンジメントの違いは何?

と、よく聞かれます。
オアシス(花屋さんがフラワーアレンジメントに使う花用のスポンジ)を使うとアレンジメントなのか。剣山を使えばいけ花なのか。日本の花を使えばいけ花なのか。ならば桜をオアシスにいけたら何なのか。

剣山とオアシスは象徴的ですが、どちらも花を留めるための単なる道具です。それによっていけ花であるかフラワーアレンジメントであるかを論じるのはナンセンスだと思います。お花だって、確かに桜や菖蒲など昔からあるお花をいけると、日本らしく、いけ花らしく見えますが、そうするとメキシコ原産のコスモスや、西アジア原産のチューリップを使うといけ花ではなくなってしまうのでしょうか。そんなはずはないし、もちろん桜や菊を使ったフラワーアレンジメントだってあります。問題は、いけられた花そのものではないのです。

それは一言にすると、「何を美しく見せるのか」。
オランダのお花屋さんで研修させてもらったとき、私の毎日のお仕事は作り売りのブーケ作りでした。2000円から5000円くらいまで、いろいろなサイズで、それぞれお花をたくさん束ねてお店に並べておきます。「オランダではこんなにみんなお花をプレゼントするのか」と驚いていたのですが、確かにプレゼントとしても売れるのですが、自宅に飾るブーケを買っていく人もたくさんいるのです。しっかりと束ねられたブーケは、ほどかれることなくそのまま花瓶にいれて飾られます。花屋さんの手によって束ねられた花は、どこに飾られるかに関係なく、そこで完成されています。花の作品自体を美しく作りこむことが、西洋的な花の扱い方なのだと思いました。

いけ花はどうでしょうか。いけ花は日本の住宅にだけ見られる「床の間」という空間とともに発展してきました。床の間という、空間でしかない空間に、瑞々しさと季節感・時の流れを与え、空間そのものを美しく見せるためにいけられます。花が図であるならば床の間は地。いけ花は図を描くことによって地の美しさを際立たせるためにいけられます。だから白い壁の前で、どんなにテクニックを凝らしめずらしい花を使い姿かたちは美しくいけられたとしても、飾るべき場所の雰囲気や格や明るさに映えない花ならば、良いいけ花とは言えません。「花をいける」と英語で言うとき、他の国には「いける」という概念がないので、たとえそれがいけ花であっても「Arrangement」という動詞を使うほかないのですが、「物を整列させる」という意味をもつArrangementとはぜんぜん違う行為なのです。そしてその違いこそが、いけ花とフラワーアレンジメントの最も大きな違いだと言えます。

 

 

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