鏡花水月

混沌と秋桜 (カオスとコスモス)

個展;2013年11月15-17日 ギャラリー「 カオスの間」、 京都
Flower; 秋桜

「鏡花水月」は、「カオスとコスモス」をテーマに書き下ろした物語を読み進めながら、
会場内の展示作品を見ていただくインスタレーションです。
おそらく葉のイメージに由来する、「秩序」を表す”cosmos”と、
花のイメージによる”秋桜”という漢字。
日本語ではこの二つを合わせ、「秋桜」と書いて「コスモス」と読みます。
タイトルにも使った作品「鏡花水月」は、合わせ鏡をイメージして作りました。
銀の額を鏡に見立て、葉っぱだけの額と、お花だけの額を一列に並べています。
「秩序」と「秋の桜」。まるで二つの異なるイメージを、合わせ鏡にして閉じ込めたみたい。
そんな発想から生まれた作品です。
イメージと時間が混ざり合った、不思議な記憶の迷宮をお楽しみください。

プロローグ

混沌の中に手をのばす。
繊細に編まれた葉が風に揺れれば、
記憶の破片が薄紅色に染まる。
夢を見ていたのだろうか。時間の中で、
見失ってしまった思い出の。

第一章「秩序」
過去にあるのか未来にあるのかわからない、植物の葉を作る研究所の物語

「co-s-mo-s」
博士は難しい顔をして何やらぶつぶつ言いながら、顕微鏡と設計図を交互に睨みつけていた。
「博士、それは鳥の羽?」
設計図を垣間見た。そこには二枚の羽のようなものが描かれていた。あまり羽には見えなかったが、羽より他にそれを表現する言葉を
思いつかなかった。
グローブを外し上着を脱ぐ。答えはなかった。いつものことだ。
ポットに水を入れ火にかける。
「博士、コーヒーは?」
台所から呼びかけると、ようやく僕の声が耳に届いたみたいだった。しかし彼は僕の方を見る代わりに、指先で設計図をつまみ上げた。
「それは、鳥の羽?」
同じ質問をもう一度した。博士は顔をしかめた。
「どうして私が鳥の羽なんか作るんだ?」
わざとらしくため息をつく。
「葉だよ。私が葉以外のもんを作ってるのを見たことないだろう」
「羽の骨格みたいだ。葉脈しかない」。
僕は博士の隣で色々な葉が作られていくのを見たけれど、
その設計図の葉は今までのどれとも違っていた。面というものがない。
ただ葉脈が意思を持ったように伸び、かろうじて葉の体裁をとっているだけだった。
博士は顕微鏡から作りかけの葉をピンセットでつまみ上げ、電燈に透かしてみた。面を持たぬ葉が宙に浮かんだ。
一見でたらめな点が線で繋がれたとき、星ならばそれらは神々の伝説を語り始める。
「星座みたいだ」
ひげの向うで博士の口が笑った。

「コスモスには、宇宙という意味もあったな。コーヒーをもらおうか。混沌の中に手探りで点を打つ。繋がれた点が華奢な線を描いたとき、暗闇の中に秩序が姿を現す。Cosmos」
「なんだって?」
「コスモス。秩序だよ。この葉をもつ花の名だ」。

「コスモスには、宇宙という意味もあったな。コーヒーをもらおうか。混沌の中に手探りで点を打つ。繋がれた点が華奢な線を描いたとき、暗闇の中に秩序が姿を現す。Cosmos」
「なんだって?」
「コスモス。秩序だよ。この葉をもつ花の名だ」。

第二章「秋桜」
現代、日本。長女の結婚が決まったある家の物語

「コスモス?」
姉が結婚するのだと、他人の噂みたいに母から聞いた。
僕はどう返事をして良いかわからなくなって、「コスモスは?」と母に尋ねた。
「コスモス?なんだって今コスモスの話なのよ?」
「いや、庭のコスモス。誰が水やるのかなって」
母は一瞬眉をひそめた。姉の結婚を同じように喜ばないばかりか、的外れな返事をする僕に苛立ちさえ感じているようだった。
「そんなのあんたがやりなさいよ」
それだけ言うと、「あ、そうそう」、機嫌を取り戻して式の予定や相手の家のことを話し始めた。
母の肩の向うで薄紅のコスモスが、秋の日の何気ない日溜りに揺れていた。
自由で、何の憂いもなさそうだった。僕もそちらへ行きたいと思った。

庭のコスモスは、結婚した従姉の家に家族で遊びに行ったとき、姉がもらったものだった。
「きれい」
うっとりした顔で姉が言った。
彼女は中学生で、僕は小学生だった。
「なんていう花?」
「コスモス」
言いながら姉はしゃがみ込んで、地べたに指で字を書き始めた。
「あ、き、ざ、く、ら?」
「コスモスって読むのよ」
「どうして桜なの?」
「しらない」
ちっとも悪びれずに答えると、軽やかに従姉夫婦のもとへ駆けて行った。
帰り道、姉はしっかりとコスモスの鉢を抱えていた。
いつだってそうだ。彼女は、望めば何だって手に入るのだ。
「お姉ちゃんも結婚するの?」
夕焼けに、二つの影が伸びていた。
大きな瞳が、驚いたように僕を見つめた。
「しないわ。結婚なんてしない、私は自由でいたいもの」
きっぱりとそう言った、澄んだ瞳は美しかった。

彼女はその言葉通り、学校を卒業してから自由に生きた。
定職に就かず何週間も家をあけたかと思うと、一体どこの国の何なのかわからないおみやげをたくさん買ってきた。
勉強して大学に行き就職活動をして働いている僕は、たぶん、ずっと、彼女に憧れている。

ご機嫌な母は出かけて行った。僕は手持無沙汰になって庭へ出た。
結婚なんてしてほしくなかった。誰かの帰りを待って生きてほしくなかった。ずっと自由でいてほしかった。
ふわふわと、風の吹くままに揺れる庭のコスモス。
触れようと手を伸ばした瞬間、びゅうと大きな風が吹いた。
まだ色鮮やかな花びらがはらりと散った。記憶の破片に光が当たる。あぁ、だから――。
「秋桜」
美しいまま散ってしまうから、桜という字を書くのかもしれない。

第三章「鏡花水月」

不思議な葉と薄紅色の花。
「秩序」の幻想を見た誰かと、「秋の桜」を夢見た誰か。
一つの花に別の角度から鏡をあてて、二つのイメージを閉じ込めた。
まるで合わせ鏡のように。

あるいは水面に浮かぶ月のように、
触れることのできない想いが、
人間の抱く儚い夢が、
花に特別な光を当てる。

エピローグ

花は、ただ咲いているだけなら、この星にたくさん存在する種の、その中の一つにすぎません。
わたしたち人間がそこへ勝手に意味を見出し、美しいとし、愛してともに生きているだけ。
様々な幻想を抱き、多くの物語を生み出しながら。

鏡を増やしていくと、どんどん増やしていくと、やがてきれいな万華鏡ができます。
色んな花に、色んな人が好きな角度から鏡を当てれば、花は、どんどん美しくなっていくと思うのです。

混沌の中に手をのばしてみてください。「秩序」じゃない、「秋桜」じゃない。
あなたの鏡には、どんなコスモスが映っていますか。