高瀬川花展

想い葉

個展; 先斗町まちづくり協議会 「このまちのために、できること」企画展示内
2014年5月29-31日 京都、高瀬川
Flower; バラ、あじさい

高瀬舟は、かつて京都の高瀬川を上下した小舟です。
流れに沿って川を下る下り舟と、人々の手に引かれ、川をさかのぼる上り舟。
多いときでは日に何艘もの高瀬舟が、高瀬川を行き交いました。
それは毎日のことで、何年も何十年も繰り返されていたことで、
繰り返されていたはずのその景色は、しかしいつの間にか消えてしまいました。

川の中に手を入れると、澄んだ水が指の間をすり抜けます。
てのひらには新しい水が、次から次へと流れ込むのに掴むことはできません。
それはちょうど、時の流れのようでした。

止まることがないこの流れの中では、新しい景色にばかり目が向きます。
けれど私たちには、力を込めて舟を引き、流れをさかのぼらなければならないことがあります。
京都というまちには、守らなければならないたくさんのものがあります。
受け継がれてきた想いがあります。

流れ行く水を掴むことのできないこの手で私は、花をいけようと思いました。
人々の想いや過ぎ去った時間を、もしも目にすることができたなら、
きれいな花のようであれば良い、と思うのです。

 先斗町まちづくり協議会さんの、京都の歴史や思い出を振り返る企画展示
「このまちのために、できること」の展示の一つとして、開催させていただいた花展です。
立誠小学校で毎月行われている、先斗町まちづくり協議会さんの
役員会議に参加させていただいたときのことです。
そこでは新しく出店されるお店の外観や看板への意見交換をはじめ、先斗町の町並みを守るための議論が、
長い時間行われました。京都には歴史的な町並みが、他にもたくさんあります。
毎日生活していると忘れてしまいそうになりますが、たくさんの方の努力が、
京都の町並みを支えているのだと改めて感じました。
それは町並みだけではなく、行事やお祭り、そして、華道のような文化にも当てはまることかもしれません。

会議の帰り道、辺りはすっかり暗くなってきました。
高瀬川の水面が、灯りを受けてゆらゆらと、ときどき思い出したように光ります。
絶え間なく、絶え間なく流れていると、それが当たり前になって、「流れている」ということをあまり意識しなくなってしまいます。
途切れることなく流れることが、どんなに意味のあることか、忘れてしまいそうになります。
けれど今私の立っている場所は、流れの途中であることを、見失ってはならないと感じました。
受け取って、引き継いでいかなければならないことを。

先斗町に沿って流れている高瀬川の中に、時の流れを表現したいと思いました。