京都 木屋町通
高瀬川の中に花をいけてみたらどうだろうーー。
どうすれば、百貨店の催事場やお稽古に通わなくても、誰でも気軽に花を楽しむことができるだろうと毎日考えていた頃(もちろん今も、ですが)ふと思いついたのでした。繁華街・木屋町通。飲みに来た人や遊びに来た人で毎日賑わう京都の中心地。ここなら、普段いけ花になんか興味のない人が、でもたくさん通る。「高瀬川の中に花をいけてみたらどうだろう」、と。
思いついたもののそんなこと本当にできるのだろうかと困っていたとき、最初に手を差し伸べてくれたのが「高瀬川会議」でした。高瀬川会議は、木屋町・先斗町が区域に入る「立誠(りっせい)」という学区の、地域自治組織の傘下のボランティア団体でした。高瀬川での舟運がなくなり、昔からの問屋さんやお店が辞められ飲食店が増えていくと、まちに暮らす人がどんどん減ってしまいました。高瀬川に面した「立誠小学校」が1993年に閉校すると、風営法の適応外となり飲食店だけでなくキャバクラや風俗店が増え、まちの雰囲気は変貌し、治安も悪くなってしまいました。その時代に発足したのが、高瀬川会議です。その目的は、住民たちと協力し合い、高瀬川という資源をいかし木屋町を、「治安が悪い繁華街」ではなく、京都らしさを残した賑わいのまちにすることです。
高瀬川会議が行っている川掃除や舟あそびなどのお手伝いをしていく中で、立誠自治連合会や先斗町まちづくり協議会、京都市役所の職員さん、他にもたくさんの、京都いうまちのことを真剣に考える人たちに出会い、高瀬川での花いけが実現していきました。いわば花のために偶然出会った「まちづくり」だったのですが、それはその後の私の華道家としての明確な指針となりました。「背景」との協調・対比によって空間全体の美を成立させるいけ花。京都のまちに花を持ち出すということは、いけ花や他の多くの日本文化が生まれた京都というまちの歴史と現状に、向き合うことに他なりませんでした。前代表の引退に伴い、2015年より私が代表をさせていただいております。その年は、私がアーティスインレジデンスでオランダに行った年でした。運河のまち・アムステルダム、少し足を延ばして行った水の都・ヴェネツィア。世界にはなんて素敵なまちがあるのだろう、と感動しました。歴史と水に囲まれて暮らす人々を、うらやましく思いました。京都を訪れる人にも、そう思ってほしいのです。「木屋町なんてうるさい繁華街」。今はまだそう思われているかもしれません。でもそこには、京都の歴史がまだちゃんと残っています。それをいかすのは、今の木屋町を生きる私たち次第。「世界にこんな素敵がまちがあったなんて」。そう言われる、木屋町を目指したいのです。
<高瀬川会議>
高瀬川会議は、京都市中京区の立誠学区を中心に活動する地域団体です。
2005年、立誠 まちづくり委員会のメンバーの一部によって発足された当時、活動の拠点となる立誠学区の木屋町通りは、立誠小学校か廃校されたことにより飲食店や風俗店が増加し、犯罪が多発する繁華街となっていました。その後十数年が経ち、立誠自治連合会をはじめたくさんの下部組織や住民の努力・京都市や京都府警の協力により犯罪件数は激減し、廃校した立誠小学校は文化の拠点となりました。現在では、年間を通して様々な催しが学校内で行われています。高瀬川会議は、それでもいまだに「治安が悪い繁華街」というイメージが残る木屋町通りを、高瀬川という資源をいかして賑わいのある京都らしいまちにすることを目標に、京都の歴史や文化に基づいた創造的な活動を行っています。
2006年 高瀬川音楽祭 開催
2007年 「舟あそび」開始
2016年 「京都木屋町花いけ部」開始
2019年 京都市景観政策課へ、「木屋町通の街灯に関する要望書」提出
立誠高瀬川桜まつり
立誠高瀬川夏まつり