文章を、書き始めたときのこと

文章を書き始めたときのことを、なぜだかはっきりと覚えている。

あれは2002年、中学2年生のときだった。
テスト勉強に夜中まで起きていて、BGMにテレビをつけていた。バラエティ番組が終わるとF1の中継が始まった。何の興味もなく、テレビから聞こえてくるエンジンの音と実況席の声を、ほとんど理解しないまま右から左へ聞き流していた。
BGMとしてはやや騒々しいその音がふいに止んで、部屋の中が一瞬しんとした。気になって画面に目をやると、あんなにうるさかった20台のレーシングカーが、息をとめたように静かに、スタートラインに並んでいた。音のない画面の向こうで、車から出る煙がわずかに揺れていた。

そのレースは、「サンマリノグランプリ」だった。

後から知ったことだけれど、F1世界グランプリは、約10カ月のシーズン中、世界各地のサーキットでレースを開催する。私が偶然、そして初めて見たそのレースはイタリアのサンマリノ共和国、イモラサーキットで行われるその年第4回目のグランプリだった。それは、6年前アイルトン・セナというドライバーが、レース中に亡くなったグランプリだった。

静まり返ったレーシングカー。スタートを切る前に、実況席が話し始めた。
「このアイルトン・セナが眠るサーキット。ここに並ぶすべてのドライバーが思っているはずです。『神様の前で、負けるわけにはいかない』と」。赤い信号機がふっと消えると同時に、再びけたたましいエンジン音が響き渡った。どういうわけだか、涙が流れた。今走っているドライバーは、セナに憧れてレースを初めた選手もいれば、実際にセナの背中を追いかけながら走っていた選手もいる。それぞれの憧れや、嫉妬や悲しみを抱えながら、死ぬ気でアクセルを踏み込む。選ばれた1台になるために、もう届かない神の背中に手を伸ばす。スタートラインの静けさは、彼らが皆アイルトン・セナという伝説に敬意を持って喪に服し、葬儀に参列している姿だった。キーンキーンと鳴りやまないエンジンの音が体の中に反響して、この感動のような何かが、胸の奥で涙のように溢れてくるのがわかった。

言葉にしなければ、と思った。

まったくそれまで見たこともなかったF1に、なにをそこまで感動したのか今でもわからないけれど、とにかくそのようにして、私は文章を書くことを始めた。
その後F1もなんとなく見なくなり、映画や音楽について描写することに凝った時期を経て、花について言葉にしなければ、と思い今に至る。

昨日「高瀬川をまなぶ」を開催させていただきました。京都の歴史や文化について4人の先生にお話していただき、お花をいけるというイベントです。3時間目に「京都のまちと花」というテーマで造形芸大の井上治先生に、中世京都に出現した花の名手とその場所を、昔の資料とともにご紹介いただきました。もちろん池坊のことを素晴らしい花を立てるのだと称えられた文書が多いのですが、その中で本能寺の大以信というお坊さんのことを書かれたものもあり、それが池坊の記述にも負けずとして劣らない大絶賛で、私はびっくりしてしまいました。池坊は現在でも言わずと知れた花の名家ですが、大以信の方はほとんど耳にすることがありません。どこかの地点で、大以信のことを語る人が途絶えてしまったのでしょう。私たちは本当のところ、専好が大以信が、どんな花を立てていたのかわかりません。やっぱり花というものは、語ることが大切なのだと改めて思いました。わずかな時間で枯れてしまうから、そこから過去や歴史、そして未来を語ることができなければならないのだと思います。

まったくどうでも良いのですが、この記事で投稿100件目だそうです。ウェブサイトを作ってもうすぐ3年で100件というのはどうしたものかと思いますが、みなさま、今後ともよろしくお付き合いくださいませ。「高瀬川をまなぶ」の様子はまた追ってアップさせていただきます。

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