肩のタトゥーと梅の花 ~「Closer」から読み解く「あはれ」~

瑛人さんの「香水」という歌がヒットしているのだそうで、華道家も聴いてみた。リアルな歌詞でメロディもなんとなく切なくて、きっと誰もが、昔付き合っていた人のことを思い出す。何より良いのは、タイトルにもなっている「ドルチェアンドガッパーナの香水の香り」。変わってしまった彼女と、わからない気持ちと、変わらない香水の香り。それを聞いて別の曲を思い出した。「ねぇ僕を抱き寄せて、君のローバーの後部座席で。あの頃と変わらずそこにある君の肩のタトゥーを噛んで、熱くなった手でシーツの端を掴むとのぞいたマットレス。これってあの時君がルームメイトから盗んだやつ?僕らあの頃と何も変わってないよね?」。こちらも少し前に世界中で大ヒットして、最近新田真剣佑さんがカバーして再び話題になっている、The Chainsmokersの「Closer」。

Closerは香水と同じように、別れた恋人のことを歌った曲。4年前に別れた恋人と偶然ホテルのバーで会って、その日の出来事と過去の思い出が交錯しながらメロディが綴られる。ありがちと言えばありがちな歌詞なのに、どうしてこんなに世界中の人の心を揺さぶるのか。それは、大切だった美しいものが、ある時この世界のどこにもなくなって、二度と手に入れることができないことに気が付いてしまったときの強烈な喪失感を、あまりにも鮮やかに描いているからだと思う。それは、あの時に別れてしまった後悔でも、目の前の大人になった美しい女性が、ランドローバーを買ってくれる金持ちの男と付き合ってることでもない。そうじゃなくてあの頃、ルームメイトのシーツを盗んで大爆笑して、Blink182のアルバムを「もう勘弁してくれよ」ってくらい朝から晩までかけまくってた、馬鹿で無邪気な、僕が恋した、あの女の子。あの頃のあの子はもう、この世界のどこにもいない。Closerの主題は、実はそこなのだと思う。

それで良いのだ。大人にならないわけにはいかない。誰も悪くない、時間がそうさせたのだ。現代の言葉にすると「悲しい」とか「切ない」とか「恋しい」になるのだと思う。どの言葉も近いけれど、どの言葉も、この「時間という壁が作ってしまったどうすることもできない喪失感」は表現しきれていない。そんな長い説明を言い表せる言葉、他のどの言語にもないんだけれど、かつてこの国にだけあったのだ。それが、「あはれ」だ。

さて、この喪失感をテーマに作品を作ろうと思ったとき、どうすればそのやるせなさを、より強調することができるだろう?私は外国の方や若い人がお客さんのような、いけ花について最もシンプルに説明しなければとき、「いけ花とは対比の美である」という言い方をする。ただ花を美しくいけあげるのではなく、その花のどの部分の美しさを表現したいか決め、それが際立つような器を合わせる。花びらの赤が美しいなら青か緑が入った器に、葉の瑞々しさを際立たせたければ、土っぽい焼き物や枯れたかごや竹の器に、という具合に。これはほとんどの日本の文化に当てはまる表現方法である。では、時間とともになくなってしまったものを際立たせたければどうすれば良いか?そう、時間が経っても変わらないものを隣におけば良い。

人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほいける

百人一首第35番、『古今和歌集』の編者で『土佐日記』の作者として有名な、紀貫之が詠んだ歌。「君はもう僕のことなんか忘れてしまったのかな。いつか二人で見た梅の花の香りは、あの頃と何も変わらないのに」。今でも名歌として残っている歌のほとんどは、「あはれ」に基づいている。散って行く花、変わって行く人の想い、移ろい行く季節、止まらない時の流れ。その美しいものをこの手に留めておきたいのに、どうしようもなく手の隙間からこぼれ落ちていってしまうこと。その光景をどうしようもできないまま眺めるしかない、歯がゆくもどかしい想い。それが「あはれ」だ。花は枯れて行く姿それ自体があはれであると同時に、しかし季節が来ればまた咲く点ではあはれの強調としても活躍するので、和歌には花が頻出する。

そうしてCloserの歌詞を読みなおしてみると、あまりにも見事に自然に、対比によってあはれが描き出されていることに気が付く。ツーソンで聴きまくったBlink182、ボールダーのルームメイトから盗んだマットレス。どれも変わらない。でもあの頃の君なら、壊れかけた車で街を出た君なら、男に買ってもらった高級車に、喜んで乗ったりしなかった。そして強烈なのが、肩のタトゥー。タトゥーは時が経っても変わらないものの象徴であると同時に、その人がその人であるという証だ。ローバーの後部座席で、ずらしたドレスの下に見たあの時と同じ絵柄。目の前に現れた女性が彼女と同じ人間で、あるいはこの先この女性とまた恋に落ちることがあったとしても、あの無邪気な女の子は、もうこの世界のどこにもいない。誰も責めることができない、どうしようもない歯がゆさを、忘れようと拭い去ろうと肩のタトゥーに歯を立てたのだとしたら、こんな「あはれ」はない。そして彼女も、変わってしまった自分を、彼に愛された女の子がもうこの世界のどこにもいないことを、誰よりもよく知っている。「私たち変わってないよね」「大人になんかなってないよね」。変わっていないものを並べたてて、そう言い聞かせるみたいに二人で何度もそう繰り返して、曲は終わって行く。変わってなんかない、執拗に繰り返すのは、変わってしまったことを二人ともわかっているから。

毎年の桜への異様な熱狂や「香水」の大ヒットを目の当たりにすると、言葉は使われなくなってしまったけれど、私たちのDNAには、どうしようもなくこのあはれが刻み込まれているように思う。古典の先生や両親は、チェインスモーカーズなんて馬鹿にするかもしれない。でも紀貫之や小野小町がこの曲を聴いたら、きっと感動すると思う。永遠の愛や宝石に憧れを抱かなかった日本の人々が、美を見出し続けてきた感情。そして今でも私たちの心を、どうしようもなく震わせる感情。それが、「あはれ」なのだ。


もはや本編と関係ないので(なくはないけど)小さな文字で書きますが、Closerは曲も歌詞も良いけど、何よりタイトルが秀逸だと思う。普通だったら「We are never getting older」か「Tatoo」になるところだ(ジャケットイメージは全身にタトゥーを入れた男女が抱き合ったイラストになっている)。Closer という言葉はそんなにたくさん出てこない。曲の中ではサビのところで「もっと近くに」という意味で何度か出てくるだけだけど、名詞になると「closeする人」つまり「締めくくる人、最後の人」という意味になる。そうするとこの女性が「最後に恋した女性」ということになる。でももう一案あって、深読みしすぎかもしれないけれど、本当に「あはれ」的心情が主題になっているとしたら「よく似た人」ともとれて、それがやっぱり一番切ないように思う。ちなみに彼女が聞きまくっていたBlink182の曲は「I miss you」という曲だそうで、Closerはこの曲にインスパイアされてできたとチェインスモーカーズがインタビューで言ったそうだ。i miss you は「あなたが恋しい」と訳されるけれど、本当の意味は「あなたがいないことの喪失感」だ。それは現代でも使われている言葉の中で、最も「あはれ」に近い言葉だと思う。


ところで今さら「香水」を聞いたのは、お友達のお茶人さんがyoutubeで「香水 茶道家バージョン」を歌われていたの聞いたのがきっかけでしたので、そちらもご紹介。