弟子ができました(前書きのようなものとして)

弟子ができた。

ある日突然店にやってきた“ナオちゃん”は、アメリカ人と結婚してもうすぐアメリカに行くらしい。ビザがおりるまでの日本で過ごす最後の2か月、何をしたいか考えて「そうだ、京都住もう」ということで京都に部屋を借りて、いけ花と日本文化を教えてくれそうなところを探して私のところへやってきた。

「お店のこと何でも手伝うので、いけ花と日本の文化のこと教えてください」。そんなこと言う人が自分の人生に現れるなんて、考えたこともなかった。ナオちゃんはもちろん花屋でなんて働いたことがない。というかお花もほとんどさわったことがないし、「何を手伝ってもらえば良いんだろう」というのが正直な感想だった。でもまあせっかくそう言ってくれてるし。半信半疑で週に何度か来てもらうことになった。そう特殊な技術がいらないこと、花瓶の水替えとか水汲みとか、仕入れてきた花の掃除とか、やってもらってみた。はっきり言って、すごく助かった。ナオちゃんがそういう下準備をしてくれる間に、私はいけこみの花をあれこれ考えたり下いけしてみたり、パソコンの前でレッスンやミニ講義の内容をきっちり文章にまとめたりする。一人でやっていると、忙しかったり疲れたりして後回しになってできなかったこと。できないけど仕事としてはこなしていって「もう少しあぁいけたかったのに」、「もう少しうまく説明できたたのに」、そういう自分の中だけのフラストレーションだった部分に手が届くようになった。花のことはさっぱりわからないナオちゃんがきて、西村花店のクオリティはすごく上がったように思う。何より素晴らしいのは、そういう私にとっては疲れるだけの、でも絶対にやらなきゃならない“雑用”を、楽しそうにきらきらとした表情でやってくれることだ。初めて働く「お花屋さん」で出会う、見たことのないお花、花を買いにやってくる人、思ってもなかった花屋の仕事。そういういちいちに心をときめかせて西村花店での時間を過ごしてくれていることが感じられて、感じたことや考えたことを一生懸命ブログにまとめている。そばにいると、なんだか自分もがんばらないとという気がしてくる。そしてその姿はどうしても、私にアムステルダムで過ごした日々を思い出させる。

言葉の通じない国のお花屋さんで、自分のやってきたことややりたいことが通用するのか不安だった。でも日本とは違うお花、売り方、ディスプレイ、みんなの働き方。そういういちいちが新鮮で楽しくて、つたない言葉でそれを伝えるとみんなとても喜んでくれた。「リョーコは勇敢だね」、「リョーコと一緒に働いているとエネルギーをもらえるよ」。言われたときはあまり深く考えなかったけれど、ナオちゃんが来てくれるようになって、「みんなこんな風に私のことを見てくれていたんだなぁ」、と思う。

アパートから駅までの町並みに、バスや電車、帰りに寄るスーパーマーケット。いつまでたっても暗くならない青すぎる空。花屋さんで過ごす時間だけじゃなくて、見るものすべてが感動の材料だった日々。なんでも写真に撮って、なんでも文章にしていった。ナオちゃんのブログを読んでいると、ふと自分は何を書いていたんだっけと思い出し、ヨーロッパで過ごした4か月の間に書いた、大量の文章を読み返してみた。うまく書ききれていないことや雑に終わっている文章もたくさんあったけれど、どの時に感じたことも、今の自分が考えていることにつながっているなと思った。普通に過ごしていると思い出しもしなかった場所や出来事が、その文章を読むと、さもずっと自分の心の中にいつでも寄り添っていた思い出みたいに、細かいところまで蘇ってくるのもなんとなく不思議な感覚だった。

時間、言葉、気候。それらが生み出す文化、文化が生み出す景色、人の心にしか残らないもの。私の心を動かすのはいつも、そういうものだった。それは今でも変わらずに私の心を動かし続け、その後京都で暮らす日々の中で多少純度が上がったように思う。

そういうわけで、ナオちゃんがブログを書いている隣で、ナオちゃんが隣でブログを書いてくれている間に、ヨーロッパで発見したこととその後京都で感じたことを中心に、私が花と出会ってからの12年ほどで発見したことを、ちょっとまとめてみることにした。偶然だけれど、ナオちゃんの歳は、私がアムステルダムに行った歳だ。今、その文章を書いているときはただの日記だと思っていることが、5年後の自分を形作る大切なことになるかもしれないってことを、生れて初めてできた弟子に、伝えられればと思う。

タイトルは、「CLOCK」。

 

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弟子・橋本奈央子のウェブサイト
Tsubame Flowers

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