災いを祓う扇のお話

7月に入ると、京都のまちの景色は一変します。
お店先に祇園祭の提灯、「御神酒」の札、商店街のアーケードにも提灯が吊られBGMはお囃子に。そんな祇園祭のムードが一色の京都にいけられるのが、檜扇(ヒオウギ)です。

ヒオウギという植物はとても古くから日本の人々に愛でられてきました。万葉集にも登場しますが、ヒオウギではなく「射干玉(ぬばたま)」という名で詠まれます。ぬばたまは、ヒオウギの実を指します。他の植物にはない漆黒のつやつやとした実は、「夜」「闇」「黒髪」などに掛かるドラマティックな枕詞として万葉歌人に愛されました。万葉集には、ヒオウギという名で葉や花を詠まれた歌は一首もありません。当時はぬばたまが、植物自体の名前だったようです。「檜扇」は、宮廷装束の装身具で、檜でできた扇です。豪華な絵付けが施されていたり、五色の色が通されていたりと華やかで、儀式や舞に使われました。私たちに身近なところだと、お雛様が持っている扇が、女性用の檜扇です。いつの頃からか人々の目が実だけでなく葉の姿に向いたようで、この檜扇に似ていることからその名で呼ばれるようになりました。

さて、それだけでも格が高くおめでたい檜扇ですが、とある伝説があります。それは『古語拾遺』という、『日本書紀』や『古事記』などの神話(古語)に収められなかった話を拾い集めた(拾遺)という歴史書に登場するお話です。

とある伝えに、昔々の神代の時、春の田作りを始めようとする春の日に、田の神である「大地主神(おおなぬしのかみ)」が百姓たちに牛肉をふるまって食べさせました。それを聞いた豊作をもたらす神・御歳神(みとしのかみ)は、怒ってイナゴを田んぼに放ちました。苗葉はたちまち枯れてしまい篠竹のように弱弱しくやせ細ってしまいました。占いによって御歳神の祟りであると知った大地主神は、「白猪・白馬・白鶏を献上して怒りを鎮めよ」という宣託を受けます。占いの教え通りの品を献上し御歳神の神に謝罪すると、御歳神の怒りは収まり、「烏扇(檜扇)で扇いでイナゴを祓え」という宣託を受けます。教えの通りにすると稲の葉はまたいきいきと茂りはじめ、秋には豊作となりました。

『古語拾遺』の「御歳神の祭祀」の段は、祈年祭に白猪・白馬・白鶏を献上するいわれを記したものとされています。ここに登場する、祟りであるイナゴを祓った檜扇と同じ名前のお花、檜扇。インフラが整備されていないまま人口が増えた都で、疫病の蔓延に苦しんだ人々が、なんとか疫神の怒りを鎮めるために始めたという祇園祭と結びつき、7月の京都に欠かせないお花となりました。「感染する」という概念のない昔の人々にとって、原因のわからない病につぎつぎと人々が倒れて行くというのは、それは恐ろしいことだっただろうと感じます。何かを神に祈るとき、日本の人々は花をまっすぐ天に向かって立てました。そこに神が宿ると信じていたのです。神社にも御神輿にも鉾にも、榊や松が立てられます。檜扇がこんなにも祇園祭のお花と信じられたことに、祟りを祓う扇の形以外にも、先がまっすぐに上を向いた姿であることも関係しているのではないかと思います。「く」の字に大きく曲がった姿でありながらも、花のついた先はまっすぐに天を仰ぎます。そして、どんなお花も咲かない真夏の京都で、青々とした丈夫な葉と、色鮮やかな花。人々はきっと、特別な力を感じたに違いありません。

<参考文献>

▶2019年7月13日の高瀬川花道部(檜扇の回)にてお話させていただいた内容です。

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