美しさと喪失感

高瀬川のそばに建つ立誠図書館の二階会議室からは、満開の桜が見下ろせる。からりと晴れた日で、桜は満開の最高潮だった。良く晴れた、風の強い日だった。窓の向こうで、強い風がざあっと桜の房を撫でて行った。青空と高瀬川の間を、桜の花びらが舞い上がった。

「美しい」とか「きれい」とかいう言葉にしてしまうと、それが目の前に広がる景色のことを言っているように聞こえる。でも桜の花びらが散って行く姿に心が動くとき、それは見た目の話ではないのではないかと思った。桜の花びらが舞う瞬間を写真に撮るのは難しい。小さな花びらは、何倍にも存在感を増して最後の瞬間を舞う。たとえきれに撮れたとしても、実際に自分の体の周りを花びらが過ぎていく一瞬の感情を、写真から感じることはたぶんできない。もしかすると「美しい」よりも、「悲しい」に近いのかもしれない。

美しいと同時に失われていくこと。淡いピンクの花びらが水と空の間を舞うという美しい景色以上に、喪失感のようなものが直接心に突き刺さるのではないかと思った。それを言い表す正しい言葉がないから、「美しい」というのかもしれない。たぶん昔の言葉では「あはれ」と言ったのではないかと思う。

たとえばそういう花(そんな風に見た人の心に突き刺さるような花)を、いけることは可能なのだろうか。

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