避けてきた、「器」のこと
ホテル日航プリンセスの和食レストラン、「
2月のお魚に、2月のお野菜。そしてそのお料理に合う器。
まちの中に花をいけることを始めてから、どうやって器を隠そうかと、そればかり考えてきたように思います。まちの背景は格子の木や、石畳やアスファルトの石。本来はいけるのに使いたいそれらの素材と、花の調和を楽しんでいただきたいことと、屋外なのでガラスや陶器は使えないことから、花をいけるのに使う入れ物は、ことごとく存在が消える工夫をしてきました。
しかし最近はありがたいことにいけ込みのお仕事も増えてきて、お店やお家にお花をいけに行かせていただいております。するとやはり、その場所に合うお花というものがあるように、その場所に合う器というものがあるのだと感じるようになりました。そしてその器に合うお花や、そのお花に合う器が。「まちにいけるから」を言い訳に、まだまだ勉強不足な「焼き物」を、私はどこかで避けていたのかもしれません。
友禅染屋さんに聞いたお話を思い出します。
「着物着ようとすると、帯はどうした帯揚がどうした、合わせだ絽だ紗だめんどくさい言うて若い子着いひんようになってるやろ?でもよう考えてみいや。洋服着るときかて、このワンピースに合わせるんやったら靴はどうやネックレスはどうやタイツはどうややってるやん。確かに着物はパーツが多い。でもパーツが多いのは、その分お洒落を楽しめるいうことやと思わへん?」
そうだ、と思いました。楽しかったお洒落の組み合わせが、いつの間にか間違えてはいけない決まり事になってしまって、多くの人が手を出すことさえできなくなっている現状。花と同じだと思いました。
白い鮃の切り身に橙色のいくらが添えられたそのお料理は、葉っぱの筋が入った深い緑の器の上に盛り付けられていました。私はそのお皿の焼き方や作った人のことを知らないけれど、本当にきれいだと思いました。そしてもちろん、とってもおいしい。
器も、着物も花も、難しいことがわからなくてももっと気軽に楽しめれば良いのに。そして、難しいことを知ればもっと楽しい、という風になれば良いのに。