カーネーション「ちはや」/秋色に隠した恋の色
「ちはや」という名前のカーネーションがある。
「ちはや」といえば、百人一首の「ちはやぶる」。「唐紅に水くくるとは」で終わる、川一面が紅葉の赤や橙で染まった幻想的な景色を歌った、名歌である。だからもし花の名前につけるとしたら、赤か橙みたいな、秋色の花につけるのが普通だろうと思う。なのにこの「ちはや」は、赤紫色をしている。ピンクとも紫とも言えない赤紫と白の、不思議なグラデーション。
「ちはやぶる」の作者は、平安時代のプレイボーイ貴族・在原業平。この歌は秋の美しい景色が主題になっているけれど、実際に山の中で詠まれたものじゃなくて、ある女性の部屋に飾られていた、屏風の景色を詠んだものだった。その女性とは、かつて業平の恋人だった、藤原高子。身分違いだった二人は駆け落ちまで企てたが叶わず引き裂かれ、その後何年も経ってから、お嫁に行った先の高子に、業平が職務でご挨拶にきたときに詠まれた歌だった。「業平朝臣、この屏風に一歌添えてくださるかしら」。そう言って、業平を見つめた高子の瞳は別のことを語ったに違いない。「ねえ業平、相変わらず男前ね。昔のように、また私に歌を詠んで頂戴」、と。
私はこの話が大好きだ。若かった恋、その後のたくさんの恋、大人になった二人。業平はどういう気持ちで、この歌を詠んだのだろう。時間が経って他の人を愛することはできても、忘れることはできなかったんじゃないかな。だって、高子を想って残された2つの歌が、もう詠まれてから千年も経っているというのに、あまりにも色鮮やかで美しいから。
カーネーション「ちはや」は、不思議な色をしている。白地に、筆を走らせたような赤紫。個体差が激しく、あるものはほとんど白かったり、あるものはほとんど赤紫の筆致で彩られていたりする。どうして秋色じゃないのだろうと、ずっと思っていた。高子の部屋に上がり、彼女の声やお香の香りに触れた業平。掻き消しても掻き消しても、浮かび上がる甘い記憶。もう触れることのできない彼女を前に、小さく息を吸い込んでから、声を震わせた。「ち、は、や、ぶ、る」。平安時代きってのプレイボーイは、きっと声も良かったんだろう。
そんな業平が美しい秋の色に隠した、忘れることのできない想いの色だとしたらとても素敵だと思いつき、今回はカーネーション「ちはや」を取り上げてみました。