業平の恋とカキツバタ

2019年05月28日

葉の緑と紺色の花のコントラストが美しい、カキツバタ。着物の柄や絵画のモチーフに、古くから人々に愛されていきました。

カキツバタをモチーフにした図案で有名なのが、『伊勢物語』に登場する“八橋”です。
主人公のモデルとされる在原業平(ありわらのなりひら)は、平安時代を代表する歌人であり、プレイボーイ。『伊勢物語』は、彼が成人してから亡くなるまでの恋の遍歴を描いた物語と、詠まれたとされる和歌による、歌物語です。数ある恋の中でもセンセーショナルなのが、藤原高子(ふじわらのたかいこ)との恋。高子は、次の帝の許嫁。皇后になることが決められていた女性でした。歌を詠み交わし愛を育んだ2人は駆け落ちまでするのですが、もちろんうまく行かず、引き離されてしまいます。有名な『伊勢物語』の第9段「東下り」は、そうして傷ついた業平が「都に居られない」と、友を連れ東へと旅に出るお話です。

八橋は、現・愛知県知立市(ちりゅうし)の地。カキツバタの群生地として、今も昔も有名です。川の流れが入り組んでおりなかなか橋を架けることができず、何枚かの板を互い違いに架け、ようやく向こう岸へ渡れるようになったという昔話から「八橋」と呼ばれるようになりました。業平の一行が八橋の地に入ったときも、カキツバタが見事に咲いていたそうです。仲間の一人が言いました。「業平、カキツバタという字を句のはじめに使って、この旅の心を詠まないか」。そうして詠まれたのが、有名な八橋の歌です。

唐衣 きつつ馴れにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ
(「か」らころも 「き」つつなれにし 「つ」まあれば 「は」るばるきぬる 「た」びをしぞおもふ)

~(何度も着て身になじんだ)唐衣のように、(長年なれ親しんだ)妻が(都に)いるので、(その妻を残したまま)はるばる来てしまった旅(のわびしさ)を、しみじみと思うことです~

 

歌の全体を覆うカキツバタの風景と、対照的な喪失感。旅先で誰かを恋しく想うのは、千年経っても変わらない感覚なのだと教えられます。

きっと色々とあったのでしょうけれど、その後高子は無事天皇に入内(お嫁入り)。業平は新しい恋をしていたでしょうか。もう未練も薄まり、それぞれの人生を歩んでいた頃、后と朝臣として、2人は高子の屋敷で出会います。飾られていた、美しい紅葉の屏風。高子は業平に、「その屏風に歌を添えてくれませんか」と投げかけます。業平が詠んだのは、紅葉の名所、竜田川が、落ちた葉で赤く染まっている、こんなにも美しい景色は見たことがない、という色彩感溢れる歌でした。美しい紅葉の景色に隠した業平のメッセージは、「僕の心もこんな風に赤く染まっているよ」でしょうか。あるいは、「こんなにも心を揺さぶられる恋は、後にも先にも君だけだった」でしょうか。

和歌は、明確なメッセージを伝えることができない表現方法です。業平が本当は何を想っていたのか、その歌を聞いた高子がどう思ったのか、後の世になってその歌を見た私たちがどう感じるのか。間違いもなければ正解もない。すべては人の心の中で完成されます。

人はどうして、共に生きていけない人に、恋に落ちるのでしょうか。しかし叶わなかった恋を詠まれた歌の、なんと美しいことか。カメラも携帯電話もない時代、美しい景色(それは多くの場合季節の景色であり、花)を目にしたときに瞼の裏に浮かぶ人、その人への想い。それこそがもしかしたら、日本の美の根底にあるのかもしれません。花と人、季節と人、そして言葉。

ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは

~神の時代にも聞いたことがない。竜田川の水を(紅葉葉が)あざやかな紅色にくくり染めにするとは~

 

▶参考 「生花 杜若」
▶高瀬川花道部 2019年5月25日の回にてお話させていただいた内容です。

<参考&引用>
1、和歌の現代語訳 八橋ちはやぶる
2、“八橋”地名の由来 知立市ホームページ
3、第1話が、“ちはやぶる~”。短いけれどとても素敵に描かれています。

超訳百人一首 うた恋い。
杉田 圭
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