8月;花火 “花よりも夏らしい花”

夏の風物詩、花火。
たくさんの種類がある中で日本人の
心を掴んで離さないのは、線香花火。
少しずつ変わって行くこの花火の表情には
それぞれに花の名前がついている。
まず火をつけてすぐ、火薬が丸く
玉になった姿を「牡丹」。少しずつ勢いが
強くなって行き、激しく火花を散らす様を 「松葉」。
勢いを失い弱々しく枝垂れて「柳」。
消える直前にぱちぱちっと 見せる花は、「散り菊」。
やがてぽとっと、落ちる姿には名前がない。
つけるとしたら「椿」だろうか。

花火が終わった夏の夜。
辺りに漂う火薬の香りと
瞼に焼き付く激しい火花。
そして、落ちた玉から波紋のように
心に広がる喪失感。
その喪失感の前で私たちは
夏の終わりを感じずにはいられない。

私たちは咲く花に来る季節を感じ 散る花に行く季節を想う。

線香花火

線香花火 裏


7月のお花をヒマワリにして、多めに印刷したので8月もそのままにしてよう、と思っていたら、常連さんに「8月は作らないんですか!?」と言われる。「げ」と内心思ったけれど、そんな風に楽しみにしてもらってるなんて。ありがたいことです。
だけど8月のショップカードに乗り気じゃなかったのは作るのが面倒だったのもあるけれど、これ、というお花がないから。日本の美を愛でる言葉に「雪月花」がある。雪は冬、月は秋、花は春。それぞれの風物が季節と結びついているのに夏だけない。真相はわからないのだけど、「夏は暑すぎて風物を愛でているどころではない」なんて冗談を言われるように(たぶん半分は本気)、確かに夏は、とりあげるべき良いお花が少ない。ヒマワリでなければ、トロピカルなお花とか、一足早く出回る秋のお花か。それで、花じゃなくて花火にしてみた。

おばあちゃんがいけ花をやっていて、とか、幼い頃から花が大好きで、みたいな、花を職業にしている多くの人がもつ幼い頃の花にまつわるエピソードのない私にとって、唯一今の仕事につながる思い出は、8月のことだった。夏休みが終わりに近づいていることは知っていたけれど、まだまだ暑いある日曜日。なぜだか私は早朝に目が覚めた。たたいても引っ張っても起きない父に飽きて一人でアパートの扉を開けると、思ってもいなかった白っぽい空が広がっていた。きっとお昼に近くなれば、知らないふりして真夏の顏をする、でもその早朝の空は、もう夏の空じゃなくなっていた。びっくりして、立ちすくんでしまった。すると半袖の寝間着からでた腕を、涼しい風が撫でて行った。夏が終わろうとしている。そのことに、たった一人だけ気が付いてしまったと思った。

子供の頃、夏が大好きだった。夏休み、プール、アイスクリーム、いつまでたっても沈まない太陽。ガラスにひびが入った瞬間みたいに、心は止まってしまうのに風は通り過ぎて行く。悲しいというのか寂しいというのかわからなかった。そのどうしようもない気持ちを「あはれ」というのだと知ったのは、ずっと後のことだった。

夏の見所は、終わりだと思う。春の桜のように、それをもっともダイレクトに私たちに伝えてくれるのは花じゃなくて花火なのかもしれない。なんて思って作った、今年の8月のショップカードです。

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