先斗町軒下花展ワークショップへお越しくださった方へ
本日は、お忙しいところ「先斗町軒下花展 このまちに、花」花いけワークショップにお越しくださり、心よりありがとうございます。監修を務めさせていただいております、華道家/先斗町まちづくり協議会 事務局次長の西村良子です。「200人の方に200個のミニいけ花をいけてもらう」というイベントの特性上、なかなかお一人お一人にお声がけすることができないので、お花をいけるにあたって皆様にお伝えしたいことを、こちらのページにまとめさせていただくことにしました。「どう始めれば良いかわからない」、「あとどのお花を入れよう?」、迷って手が止まってしまったときなどに、お読みいただけると幸いです。
「このまちに、花」も今回で12回目となりました。私自身は「花を仕事にしたい」と思ってから、もうすぐ20年になります。花を通して、数えきれないくらいのたくさんの人や場面に出会ってきました。その中で、年齢も性別もぜんぜん違うのに、実にたくさんの方が同じ言葉を口にされるのを聞いてきました。
「私にはセンスがないから、花なんかいけられません」。
断言します。私たち、花をいけることを生業にしている“花のプロ”が、花をいけるときに使っている能力は、センスなどという、説明のつかない個人の才能のようなものではありません。少なくとも私は「違う」と、自信をもって言うことができます。
「花をいける」という動詞は、日本語にしか存在しません。それは、「花をいける」という文化・習慣そのものが、この国にしかないことを意味します。「いけ花」のことを英語で「Japanese flower arrangement」と訳すことがありますが、実はこれは誤訳です。「Arrangement」は「(花を)整列させる、秩序に従って並べる」という意味の動詞。そのように「美のセオリー」の下作られる「フラワーアレンジメント」は、それ自体が完成された作品です。絵画や彫刻といった芸術作品のように、どこに置いても同様に美しさを発揮します。これには確かに、作り手の色彩感覚や造形技術が必要です。
いけ花の発想は、まったく違います。私たちが花をいけるときにまず考えることは、それが「どのような場所であるか」です。和室なのか洋室なのか、屋外なのか。床の間のような何もない無地の背景なのか、いろいろな物があるごちゃごちゃした背景なのか。そしてその場所では何が行われるのか、誰が来るのか。それらすべてを考慮に入れ、手に入るものの中で最もふさわしい一輪を選んでくること。それが、「花をいける」ことの始まりで、最も大切なことです。いけ花には確かに決まった型があり、教室に行けば教科書があります。日本ではある時代まで「花=床の間に置くもの」と決まっていたので、型を規定することができたのです。いけ花といえば、多くの人が「少ないお花で枝や葉のラインをいかしたようなデザイン」をイメージされるかと思いますが、それは床の間というそれほど広くない・無地の背景の中で、美しく見える型だからなのです。
長々失礼しました。先斗町に話を戻しましょう。いわゆる「いけ花」が床の間という場所にいけることを目的に100年以上もかけて完成された形であることに対して、「通りの軒先に置く」いけ花には、確立された流派もスタイルもありません。ただこれまで11回の経験から、置いたときに「きれいに見える色・形」は、ある程度まとまってきました。最後にそのことをお伝えして終わりたいと思います。
まずは色。先斗町通を構成するものは、石畳と町屋です。それらを背景にしたときにぱっと美しく見えるのは、「鮮やかで春らしい、透明感のある色」と、「瑞々しい葉もの」です。いけ花は枝物と花で構成されることが多いですが、その枝物の部分を、町屋の木が担うイメージです。花はたくさん用意しているので迷ってしまわれるかと思いますが、先斗町に置いたときに見映えのしない色・花はそもそも用意しておりませんので、ご安心ください。
次は形です。「通り」は床の間の様に、背景に何もない、近くで見ることができる空間とは真逆です。広くて抜けていて、花と同時にいろいろな物が目に入ります。ですのでラインをいかすのではなく、器から長く出さずに短く、花同士をかためていけ、ある程度の重みと存在感を出す必要があります。その上で、花びらの薄いお花や細くて流れのある草などを、揺れる風を意識してお花の間から出すと、自然に、しかし先斗町の景色の中で美しく浮かび上がります。迷ったらとにかく、そのお花が「先斗町の中にある景色」を思い浮かべてください。
「花をいける」ことは、確かに奥が深く難しいことかもしれません。私もまだまだ師匠の元へ通わせていただいています。しかし、多くの方が思われるような「センスや才能の有り無し」ですべてが決まってしまうような世界ではまったくありません。そして何よりもこの、四季と水に恵まれ、四季と水に翻弄され続けてきた京都という場所で、先人たちが築き上げてくれた文化の先で、私たち現代人が、都市と季節に向き合うこと。それこそが「先斗町軒下花展 このまちに、花」の、何よりの価値であると自負しております。どうか「センス良く花をいける」ことを目的にするのではなく、まちと季節を楽しみ、想いを馳せてください。
もっと「花のセンス」について読みたい方はこちら(笑)
連載「京都の現代歳時記考 -木屋町の花屋のささやかな異議申し立て-」
vol.3センス、ではなくスタンス【重陽の節句】

