「長持ち」という、実は新しい花の価値
多くの人が口にし、現代社会では当たり前になっている、花の「もち」。2つの花で迷ったら、「長持ちする方!」と買って帰られる方が少なくない。お客様にとっては当然の判断だし、売る方としても納得できる選択である。でもこの、「花は長持ちする方が良い」という価値観は、多分、結構最近できたものだろうと思う。価値観と呼ばれるものの多くが、その時代を生きる人にとっては当然の考え方である一方、別の時代や外国の人には理解できないということがよくあるように、この一見単純に見える価値観は、1980年~90年くらいの日本で、社会が劇的に変化した結果生まれた。
お茶に、「リンドウはいけてはならない」というルールがある。秋になればいけ花のレッスンにも頻出するし、花屋さんにとっても代表的な和の花なので、私たちにとっては寝耳に水、である。長持ちだってするのに!しかし理由は、その長持ちにあった。
昔の日本で花をいける大きな理由に、客人をもてなすこと、というのがあった。花は庭や近所から摘んでくれば良いので、客人の来るのに合わせていければ良かった。その日、その人のためだけにいけられた花に価値があった。切ってからも長持ちするリンドウでは、そのスペシャル感が伝わらないのである。対して現代社会。客人に会うときは、多くの人が自宅ではなく外食する。私に花のいけこみを頼んでくださるのも、個人の自宅ではなく飲食店さんである。お店にとって花代はコストに他ならない。同じきれいさならば長持ちする方が良い。もちろん花屋にはお家用の花を買ってくださる方もたくさんおられるけれど、みなさん自分や家族のために飾られるので、飽きるほどの長持ちでなければコスパは良い方がいいに決まっている。家にお客さんが来なくなったという住環境の変化、そして手に入るほとんどすべての花に値段がついたという、花の流通の変化。その変化が決定的になった80年代以降、長持ちは切花の大きな価値として定着していった。
花のもちは、どのようにして決まるのか?「ガーベラはもたない」なんてよく聞くけれど、実は、ほとんどの場合、花のもちは種類じゃなくて環境に依る。暑さや乾燥など、その花ごとに苦手な環境があり、それを避ければ最低でも一週間は楽しめる。ガーベラだって冬に暖房のついてない玄関などで、茎を斜めでなく真っ直ぐに切って、水は少なめ、ときどき水を交換してやれば、10日以上もつ。こんな風に、ちょっとした知識で切花は劇的に長持ちする。問題は、現行のいけ花の教室などで教えてもらえる技術は、1980年代にはとっくにできあがっていたいけ方なので、花を長持ちさせるいけ方や方法などは、基本的に眼中に入っていない。
ときどき花のレッスンをしたり、店にきてくださるお客様と触れ合う中で、現代の日本人の「いけ花を習いたい」には2種類あるのだと感じる。第一には、言葉の通り、日本の伝統である「いけ花」を習いたい。それとは別に、「ちょっと家に飾る花をきれいにいけられるようになりたい」という想いがある。というか、花を習いたいという多くの方が、実は後者なのではないかと思う。床の間にいけるためにできたスタイルのいけ方を、基本にはそのままの形で教える現行のいけ花教室では、到底その希望は叶えられない。
たぶん、後者に特化した教室みたいなものが必要なのではないかと思う。現代の空間に、「長持ち」などの現代のニーズに合わせた花のいけ方を伝えられる機会が。そして反対に「いけ花教室」では、中途半端に現代に合わせた”モダン”な“自由花”などではなく、もっと歴史や伝統として楽しめる内容のレッスンが提供できればと思う。