それでも花を売る ~コロナショックがどんどん深淵する中で華道家が思うこと~

忘れられない言葉がある。

それはいけ花の師匠のものでも花屋の先輩に言われたわけでもなく、切り花の輸入商社のお兄さんが言った言葉だ。

以前勤めていた京都の大手のお花屋さんに勤務していたときのこと。私はまだ大学を卒業して2年目くらいという感じで、ガキで、なんにもわかっていなかった。その花屋さんには週に1度、大阪から輸入商社の方がお花を売りに来ていた。荷台が冷蔵庫になったトラック。開くとお花がぎっしりと並んでいて、はじめて見たときは夢のトラックみたいだと思った。すべて輸入のお花なので、広くない荷台に入らせてもらうと、外国のお花屋さんを見ているような気分になれた。店にも慣れて仕入れも少し任せてもらえるようになって、そのお兄さんとも仲良くなって、お花を選び終わってトラックの傍で話していた。お兄さんは言った。
「まあ日本は、お花が売れなくなったら終わりですからね」

新型コロナウイルスがどんどん広まって、西村花店のある京都の繁華街・木屋町通は如実に影響を受けている。人がすごく少ない。お花をいけに行かせていただいているお店さんも本当に困っておられて、胸が痛い。いけこみはうちの主要事業だし、木屋町に人が来なくなってしまったら店頭の花も売れなくなる。毎日不安が増して行って、ヨーロッパでは生活必需品を売るお店以外は閉店しているなんて聞くと、「花なんか売ってていいのかな」という気持ちになる。でもそのたびに、商社のお兄さんのあの言葉が頭をよぎるのだ。あれは、何のときに言われた言葉だっただろうか。

そのお兄さんはもともとお花の世界にいたわけじゃなくて、たしかその数年のうちに、転職されてこられたのだった。前職は不動産の営業。あまりにも今のお仕事とかけ離れているので驚いて見せると、「不動産は疲れちゃって。汚いこともあるし」、「だから、お花に癒されようと思って」。そう言って冗談みたいに笑うのだった。すらりと細くて、いかにも優男という感じで、「飄々(ひょうひょう)」を絵に描いたみたいなお兄さんだった。だからそのお兄さんが「日本は」なんて言ったときは、ちょっと「え」と思った。お兄さんは付け足した。「いや、経済がとかいう意味じゃなくて、お花を飾る気持ちがなくなったらってことね」。「ふぅん」と思った。私はガキでなんにもわかってなかったし、なんとなく同意はしたけど「そうかな。そんなのキレイごとじゃない?」と思った。あれは、何のときに言われた言葉だっただろうか。そうだ、東日本大震災のときだった。

あのときもちょうど同じ季節で、京都の被害自体はほとんどなかったけれど、原発の問題もあったし日本全部が自粛ムードになった。大学の傍にあったそのお花屋さんも、送別会の花束がキャンセルになったりして、花業界も不安な日々だった。そのときは勤めていただけだで何の責任感もなかったけれど、「どうしたものかなぁ」と毎日感じていた。お兄さんは言った。「まあ日本は、お花が売れなくなったら終わりですからね」。だから僕たちは、花を売りましょう、と。

送別会のお花はキャンセルになったけれど、お家に飾るお花、結婚記念日のお花、いきつけのお店の周年祝のお花は、やっぱり買いにきてくださる方がいる。花は生活に必要ない。だけど花は、誰かの想いだ。そこには愛や、お付き合いや、感謝がある。そして花は、日本の文化のすべてを形作った“季節”そのものだ。こんなときだからこそ、少しでもいいから家に花を飾りたい、飾ってほしい。

ねえ宮川さん。今ならあなたの言葉の意味がわかるよ。花が売れるか売れないかじゃない。みんなの心の中からその気持ちがなくなってしまったら、日本は終わりだ。大好きなケニアのバラが、4月1日以降市場から消えるそうだ。宮川さんの会社は大丈夫だろうか。だけど私は、木屋町の人と京都の人に、お花を供給し続けなければ。それが今、日本という社会における、私の責任だと思う。

 

 

▶ケニアのバラ ~コロナショックを受けて華道家が思うこと~

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ところで、言葉の力はすごいな、と思った。多分宮川さんは、こんな話を私としたこと自体、忘れていると思う。私もずっと忘れていた。
なのに。言った方も言われた方も忘れているのに、何年も後に何かの拍子にふっと心の中に浮かんで、その人に強い勇気を与えることができる。
言葉の力はすごい。でも花にも同じだけ、力があると信じて。