「風が吹いているみたい」

いけられた花を褒める言葉はいろいろとあります。きれい、上手、春らしい、色合わせがいい、などなど。
私がこれまでに聞いたことのある誉め言葉の中で最高だと思い、またいけ花とは何なのか少しわかった言葉があります。
「風が吹いているみたい」
枝の振りや重みを読み、その流れの邪魔をしている枝や花を落とすことで、枝と枝の間を風が通り抜けたかのような、動きがありつつも軽やかな風情にいけられている、という意味です。

それはまだ私がお花を習い始めて間もない頃で、忘れもしない、れんぎょうの投入れに、アネモネとレザーファーンの葉っぱという取り合わせでした。振りのおもしろいれんぎょうを、まだまだ初心者でどうすれば良いかわからないのでできるだけ触らずに留まるところでとめて、濃い緑が美しいレザーファーンの葉を流れるままに、留まるところでとめて、アネモネを添えました。いけあががった花を見た師匠は言いました。「上手に入ったねぇ。風が吹いてるみたいやわ」。そう言って師匠は、レザーファーンのとがった葉を、先から先へ撫でていくような仕草をしました。まるで、その間を通り抜けた見えない風をなぞるみたいに。

前に、京都芸大の井上先生の講義を聴いたときのお話が、今でも忘れられずにいます。私たちが立っている場所は、かつて大地でした。そこに人々がやってきて文化や文明を築き上げていくうちに、大地は誰かが所有する「土地」になりました。「土地」にはいろいろな人の価値観や美意識が張り巡らされ、大地を覆い隠してしまいました。そこに、孔をあけることができる人、その孔から見えなくなってしまった大地が見えるように。その孔のことを芸術といい、その人たちのことを、アーティストというのだと。

いけ花が芸術なのかと聞かれると、いけ花は空間を美しくするためのデザインであり、芸術(アート)ではない、と答えるのですが、このお話を聴いたとき、それならいけ花もアートの側面をもつべきだし、私もアーティストでありたいなと思いました。そこには本来ないはずの風や光、水、土、季節の空気。花をいけることで、みえない「大地」を感じさせることができるなら。少なくとも日本人が背負った大きな十字架である、花を切ることへの理由にはなるかもしれません。花を切ることの理由、つまり、花をいけることの理由。

 
2019年3月23日の花道部でのミニ講義

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