流れる時こそ美しい
1月の花いけ部は、テーマを”節分”にさせていただきました。
節分って、豆を巻いたり恵方巻を食べる日なんですが、もともとは「立春の前の日」のことをいいます。立夏の前の日も立秋の前の日も立冬の前の日もみんな節分なのですが、いつの頃からか、節分と言えば立春節分をさすようになりました。
でも節分の前に、実は「土用」があります。「土用の丑」の土用。これは四立(立夏・立秋・立冬・立春)の前の18日間のことをさし、節分は土用の最後の日ということになります。土用の丑に鰻を食べる、は鰻屋さんの陰謀だそうですが、季節の変わり目は体調を崩しやすいから、滋養のあるものを食べるという習慣です。節分も土用も「雑節」といわれ、放っておくと暦と実際の季節がずれていってしまう旧暦の世界の中で、毎年繰り返される季節を知る術として生み出されたそうです。
外国の人に「日本はどんな国?」と聞かれたら、私は「四季のある国」といつも答えます。でも四季のある国は世界中にたくさんあって、その中で私たちがどうスペシャルなのかというと、たぶん、その四季の「移り変わり」をこそ繊細に感じ取り、心を動かしてきたことだと思うのです。冬じゃない春じゃない、土用や節分を見出したこと。近づいてくる次の季節に耳を澄ませ、去ろうとするこの季節を惜しむこと。JTのコマーシャルが、「日本は、流れる時まで、美しい国でした。」と言います。その通りだと思う。いや、この国では、流れる時こそが美しい。
淀みなく澄んでいるのはきっと、流れ続けているからです。「節分」は、この時代でだってちゃんと変わらずに澄んでいるその流れを、感じる術かもしれません。