お茶人さんの年賀状
自慢じゃないけれど、私は年賀状を書く枚数がとても少ない。
それは今まで花屋さんに勤めていたからなのだけれど(花屋さんの年末年始はとても忙しく、誰も年賀状を出せない)、去年から今年にかけては、一応華道家として独立初めての年末年始で、初めて家でゆっくりと、掃除をしたり書き物をしたりして過ごした。年賀状というのは、こういう新しい年に向けて少しずつ寒く静かに、神聖になっていく日々の中で書くものなのだなと思った。
私が年賀状のやりとりをしている、本当に数少ない人々の中に、お茶人さんがいる。
お茶人さんとはよく会うようでいてよく考えると年に4、5回しか会っていない。多分印象が強いからよく会うように感じるのだと思う。そう言うと怒られそうだけれど。
それで、いざ葉書に何か言葉を書こうとすると、「どうしたはるかな」と思う。そう思いながら言葉を選ぶ。そうして来年もそう会うわけではないのだろうけど、同じように来年も、これからもよろしくお願いしますと思い、そのように書いて、冷えたポストに投函する。
年賀状とは、手紙とはそういうものだと改めて思う。
会っていない時間の方がずっと長い人のことを想い、その人の心に、どうか届けと言葉を選ぶ時間。
お茶人さんからも年賀状がきた。
字も言葉も美しい。