100年後の歳時記

2019年10月20日

「歳時記」って、「季節行事」の意味かと思っていたら、本のことだそうだ。季節に応じた祭事・儀式・行事・自然現象などを解説した本のことを歳時記という。長い歴史の中でたくさんの人たちが季節の事柄や行事を整理し、忘れられてしまったものは省き新しく定着してきたものを入れ、この国の「歳時記」を整理してきた。
毎月の花いけ部や花道部で、いろいろな歳時記についてお話させていただく。行事とかお花とかお祭りとか。その中でも、ハロウィンは特別だ。

子どもの頃、英会話教室に通っていた。私はそこに行くのがとても嫌だった。学区の違うところにあったのでまず遠いのが嫌だったし、他の子たちは近所同士で仲が良いのにその輪に入れないし、今と違ってとても内向的な子どもだったので、外国人の先生がどんどん話しかけてくるのもすごいプレッシャーだった。10月のある日に先生がいった。来週はハロウィンパーティだから、みんな仮装してきてね。最悪だ、と思った。でも何しろ内向的な子どもだったから、もちろん嫌とも言えず母に魔女の帽子をのっけられて、教室へ行った。子供教室だからいつも遊びみたいなものだったけど、その日はハロウィンパーティだと言って、みんなでゲームをしたりお菓子を食べたりした。
その頃、ハロウィンとはそういう感じだった。多くの人はその存在を知らず(知ってはいたかもしれないけれど、イースターみたいなものかな)、自分には関係のない、一部の英語文化に関係ある人だけのお祭りだと思われていたと思う。英会話教室にはずいぶん長く通ったので、私は毎年ちょっとした仮装をしては、ハロウィンパーティーに参加した。内向的な私がハロウィンに馴染んでいくのにつれて、10月が近づくとまちの中でも少しずつオレンジ色のものやかぼちゃの飾りが増えて行った。雑貨屋さんや100円均一でも年々ハロウィンに関わるグッズが増えて行く。デパ地下にはパンプキンテイストの秋のお菓子。ここ10年くらいだろうけど、実際に仮装をしてまちへ繰り出す人もどんどん増えた。

桃の節句には、「いつ飾るん!?」と母に怒られながらお雛様をひっぱりだしてみんなでちらし寿司を食べた。七夕にはホームルームの時間にみんなで短冊を書く。クリスマスだって、両親とその友達と集まっておいしいものを食べて、子供だった私にプレゼントをくれるのが、もう当たり前になっていた。でも、ハロウィンは違った。はじめは誰も知らなかった外国のお祭りが、年ごとにみんなのイベントになっていった。大学生になる頃にはすっかり誰もが知るイベントになっていた。でも友達に「仮装して飲み会でもする?」と言われるとそれも違う気がした。

ここ数年、”仮装して飲み会“が全国の繁華街で問題になりつつある。テレビで見たところによると、とくに渋谷が大変らしい。木屋町でも確かにまちがざわつく。私が閉店して家に帰る23時頃にも、路上で宴会をしている仮装した人々や、ばたばたと走って行く警察の方とすれ違う。
京都は、季節を大切にしてきたまちだ。大切に、というか、それこそがこのまちの秩序である。花街の文化、着物、食べ物、もちろん花も。みんな季節に基づいている。だとしたら、みんなが「あぁもう10月かぁ」と思えるようなイベントが自然に形づくられてきたとしたら、京都はよろこんで受け入れるべきなのではないかと思う。

ハロウィンはもともと、古代アイルランドのお祭りだ。そこには日本と同じで自然信仰の文化があったそうで、ハロウィンは彼らの大晦日にあたるお祭りだった。大晦日であると同時に季節の変わり目・節分でもあり(こちらのコラムもどうぞ)、仮装をするのは季節の変わり目にはあの世とこの世の扉が開き魔物がやってくるので、いたずらされないように自分たちも魔物の格好をするため。日本(京都だけなんでしょうか?)にも、まったく同じ発想の行事がある。“節分お化け”だ。現代では花街でしか行われていないけれど、節分には歳徳神様が立春に向けて移動なさるので(移動先がその年の恵方というわけ)、その隙間を狙って鬼やら魑魅魍魎が移動する。彼らに憑りつかれてはいけないので、自分でないものに変装するというお楽しみ行事。こんな風にみると、ハロウィンは日本人の感覚にとても合っている。お菓子や花などのデコレーションと結びついたのも、日本の歳時記になり得る条件をばっちりクリアしている。だとしたら、繁華街のハロウィンの問題は一体何なのだろう。
ひとつは、季節の表現がないこと。みんなただ仮装して出てくるだけで、そこには季節への想いや表現や楽しみがない。きっとハロウィンのパーティーピーポーたちは節分のことなんて思い出しもしないと思う。それでも多分、日本人のDNAが騒いでこの新しい季節行事にあんなにもたくさんの人が便乗しているのだとしたら、日本はまだ捨てたものじゃないとも思う。でもそこで大きな問題なのは、「みんなが楽しめる」ものじゃないということ。日本の祭りは、踊る阿呆に見る阿呆。踊ってる人は楽しくても見る人が冷めた目をしているんでは祭にならない。踊る人も見る人も、同じように阿呆になって楽しめなければ。仮装には本来そういうパワーがあるんだけれど、自分のグループだけが楽しければ良いという発想が、そのパワーを奪ってしまっている。

『歳時記』が何度も書かれていく中で、前の歳時記には載っていなかった新しいお祭りや消えてしまった風習がたくさんあるはずだ。ハロウィンは、どこをとっても日本の新しい季節行事になる。もうなっている。でも、迷惑行為が過ぎて「ハロウィンはかなん!!」「かぼちゃなんて見たくない!」なんていう人が増えてしまったら。ハロウィンには、絶対に素敵な、日本の新しい季節行事になってほしい。
初めから伝統だった行事なんてない。100年後の歳時記に、ハロウィンは載っているだろうか。それは私たちの“楽しみ方”にかかっている。松尾芭蕉は言った。「季節の一つも見つけたらんは、後世のよき賜物」。私たちは、100年後の人々に、どんな贈り物をできるだろう。

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