献灯

2019年07月23日

私が祇園祭で、いやもしかすると京都で一番好きな景色は、夜の御旅所だ。

前祭の後八坂神社から来られた御神輿が、後祭の後八坂神社に帰られるまでの一週間、新京極四条の突き当りの御旅所に納められる。木屋町に店を持ってから初めての7月。寺町の家に帰る道中新京極を横切ると、突き当りに昨日まではなかった光が見えた。祇園祭のものだろうという察しはもちろんついたけれど、その尋常じゃない明るさにもう茫然としてしまって、早く帰って寝たかったわけだけれど、見に行かないわけにはいかなかった。光に向かって、夜の新京極通を進んで行く。アーケードが終わると、いつもの夜の四条通。ざーっと通り過ぎて行く車と、無機質に繰り返す信号。そのいつものはずの景色の中で、異様なまでに煌々と輝く一画が現れる。これが、夜の御旅所だ。

レッスンやミニ講義で、日本のお祭りや行事、神様のことなどお話させていただく。もちろん神社に行けばお賽銭を入れてお祈りするけれど本当に何かを信じているというよりは、慣習でやっているだけだったと思う。しかしこの四条御旅所には、心を持って行かれてしまった。神社のように昔からの隔離された空間ではなくいつもの四条通で、しかしそこだけが完全に異空間とつながっているように感じられて、目が離せなかった。ここには神様がいるかもしれないと思った。

御神輿の前には献灯の台が細長く据えられて、大小の火が四条通の夜風に揺れる。これまで神社に行っても献灯なんてしたことなかった。なんでそんなものにお金を払うんだろうと思っていた。でもここでは、自然と自分も何かしたいと思えた。短くなったロウソクから自分のに火を移し、御神輿の前に立てる。揺れる火の向こうに、御神輿の金と執拗にそれを照らし出す照明。目を瞑り柏手を打つ。私の灯した火が消える頃、別の誰かが火を灯し目を瞑る。その繰り返しは、「受け継ぐ」ということそのもののように思えた。

それから毎年、御神輿がおられる間は御旅所に寄って帰ることにしている。初めて見たときの衝撃には及ばないけれど、それでもやっぱり、ここには神様がいるかもしれないと感じられる。ロウソクを立て目を瞑ると、ざーっとタイヤがアスファルトに擦れる音がする。私は現代の京都に、かつての京都の人々が必死で積み上げてきたまちに、立っている。ここで辞めるわけにはいかない。

そしてもうすぐ、京都の7月が終わる。

 

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