伝統と革新
先斗町まちづくり協議会主催で、月に一度まち歩きをしてみることになりました。
通りから電柱と電線をなくす「無電柱化」工事を控えた先斗町。一足先に無電柱化され、良い感じになっている高台寺周辺、二年坂・産寧坂をみんなで歩いてきました。
東大路から八坂通りに入って、産寧坂・二年坂、高台寺通りを抜けて石塀小路に寄り道、下河原通りを通って東大路に出ました。「49年間の人生で、ここ来たん多分二回目やわ・・・」と、協議会・金田副会長。
確かにこの辺りって何の通り道でもないから、京都に住んでいる人でもほとんど来る用事がありません。歩いておられるのは観光に来られた方か、この界隈に住んでおられる方です。私も二度目とは言いませんが、かなり久しぶりに来ました。久しぶりにのんびり歩いてみると、どこを通ってもきれいで、もう本当に、「日本に京都があって良かった」です笑。
その後はてくてく坂を下りて、集合した四条先斗町入り口までみんなで歩いて帰りました。せっかくなのでご近所の花街・祇園町も見学に行こうということで花見小路通に寄りました。
「あれ?」と思いました。京都らしい三寧坂から、京都らしい花見小路通に出たはずなのに。その広い通りに出た途端、なんとなく違和感を感じました。というか、どこかよその温泉街みたいな気がしました。京都かもしれないけれど、京都じゃなくても良いような。
祇園町は、明治時代に入ってすぐに行われた廃仏毀釈により、建仁寺が所有していた広大な土地を手放すことになり、そこに新しく作られたまちでした。建物は、京都の町屋に倣い、その良いところを合わせて作られました。宅地開発で一軒一軒の間口も広く、立派な京町屋の並ぶ花街ができ上がりました。
今日のまちあるき、待ち合わせ場所は四条先斗町入り口でした。参加者のみなさまを待っている間、先に到着したメンバーとふと東華菜館の建物を見上げて話していました。もともとはフランス料理屋さんだったとか、当時はハイカラなビルディングだったんだろうなぁ、とか。でも今ではすっかり鴨川、川床、京都の景色に馴染んでいます。そういうものが、京都にはたくさんあります。東華菜館のような近代京都、歩いてきた石塀小路。例えばインクラインは、当時の最新技術の結晶を、古くからある南禅寺の中に通してしまったのだから驚きですが、今では南禅寺と積み上げられた煉瓦の水路跡は、切り離すことのできない京都の名所になっています。「伝統と革新」。京都の魅力を語るとき、一番に出てくる言葉です。
私は思うのですが、今あるものへの反省や批判から生まれる「最新」は、かなり本気です。すごいものでなければ、今あるものから大ブーイングされます。考え抜いた本気のアイデアと技術と素材が投入されます(それでも多分ブーイングされますが)。そういうものが少しずつ古くなって、周りのもっと古い魂の入ったものと馴染んできて、それが「京都の景色」になっているような気がします。「伝統と革新」、そして「ほんまもん」ですよね笑。
対して、今あるもののコピー。どんなに見た目がそれらしくても、そこには思想もアイデアもありません。それは長年「都」だった、京都というまちのすることではないように思います。魂の入っていない古いもののイミテイションは、本当に古くなってきたとき、その時の重さに耐えられなくなってしまうように思います。
お寺や町屋は、確かに京都らしい風景です。でも革新することをやめて、何かの真似をしようとしたり何かの後を追おうとしたとき、それは京都らしくなくなるのかもしれません。