白い檻
アムステルダム国立博物館の、東洋美術の学芸員、メノー・フィツキ氏が、
花展のオープニングでお話してくださいることになりました。
彼に挨拶に行った帰り、はじめてアムステルダム国立博物館、に
足を踏み入れました。
一日でまわりきれない巨大美術館で、
「東洋美術」から見始めた日本人は私ぐらいではないでしょうか。
そこには、メノーが集めた仏像や器や着物が、きれいにならんでいました。
真っ白に磨かれて、優しい照明に照らされて。
「白い壁の前で生け花をいけることはできないと思うんだよ」
でもいろんな人に見てもらいたいから、まちのなかで「生け花」をいけていると言うと、
メノーはとても感動してくれました。
まっすぐに並べられたその姿は、まるでオランダのまちなみそのもので、
そこで日本の”アート”と呼ばれることになったものたちは、
白い美しい檻の中に入れられて、本当の力を失ってしまったように見えました。
でも同時にそれらは、
もう本当にあるべき場所で使われたり見られたりすることはできないのです。
放っておいたらどこかの屋根裏で一生日の目を見ずに過ごすのか、
誰かに壊されてしまうか、
そのことを思えば、東洋の文化をとてもよく理解してくれているメノーの作った檻の中で静かにすごし、
あるいは誰かの心に何か傷跡を残すことができるかもしれないこの場所にいることが
最良なのかもしれないとも思いました。
でも花は違うから。
生け花はまだあるべき場所を失っていないし、
物語も時間もない白い檻の中に入れることが最良じゃないと思うのです。