朝日新聞に菊の話を掲載していただきました

今はお休み中の「花いけ部」では、毎月ちょっとした季節のお話やお花の話をさせていただいておりました。ある回で、菊をテーマにお花をいけてみることにしました。菊というと「お供えの花」のイメージがあるけれど、それって一体いつ誰が決めたのか?本当は高貴でお祝いにもお供えにも使えるお花だったのに、いつお供えだけのネガティブなイメージになってしまったんだろう?そんなお話を自分の花店で働いた経験や、本やインターネットで調べてみて、たぶんこうなんじゃないかなという、一つの仮説のようなものができ、そのお話をさせていただいたのでした。そのとき偶然、朝日新聞の記者である田中陽子さんが参加してくださっていて、その話を大変おもしろがってくださったのでした。その後何度かお話する機会があり、そのたびに「いつか記事にしたいです」とおっしゃってくださるのでした。

花いけ部ではじめてその話をしてからなんと4年(!)。田中さんは、本当にその菊の話を記事にしてくださったのでした。

私は花の専門学校などではなくて、普通の総合大学の、社会学部を卒業しました。専攻は、マスメディア。記者という職業のことを多少勉強したし、記者に憧れていた同級生も知っているし、少しだけれど記者になった友人もいます。私も新聞記者や、広告代理店やマスコミ業界に憧れたし、想像もつかないようなたくさんの人に、自分の書いたものや作ったものが届くなんて、すごい、と思っていました。もちろん、今でも。でも、ある時気が付いたのです。私がたくさんの人に伝えたいことのほとんどは、日本の花のことと、季節のことだということに。

そうして花を続ける毎日で、田中さんに出会いました。田中さんは、私ではとても相手にされない、いくつもの信頼できる花き業界の方に取材をして、私の話したことのウラをとってくださり、紙面の半分ものボリュームで、たくさんの写真を載せたきれいなカラーのページに仕上げてくださいました。あのとき、花いけ部に参加してくださった、たった30人ほどの方にしたお話が、田中さんの手によって全国紙に載って、本当にたくさんの人のもとに届くことになったのでした。人生って、一生懸命生きる価値があるんだなぁ、とまるで誰か別の人に起こった奇跡を見るみたいに、静かな感動を覚えました。

「センス良いですね!」や「西村さんがいけると違う!」なんて言っていただくととてもうれしいのですが、そんなことはないのです。私が他の花屋さんや華道家の先生方より多少優れていることがあるとしたら、それは、日本の花と季節の在り方を問い続けることと、その発見や感動を、伝え続けること、だと思うのです。改めてその本分に、意義を感じることができました。朝日新聞の田中陽子さん、そして、花いけ部に参加してくださっていた皆様。本当に、ありがとうございました。

ところでこの投稿に、どうして私がその菊の話に至ったか、店のロゴマークにするまでになったかを少しお話するつもりだったのですが、その話をし始めると私がはじめてした花屋さんでのアルバイトからになってしまい、きっと文末の記事の画像にまでたどり着けなくなってしまうので、別の投稿に「西村花店と菊の話」としてまとめることにしました。まとめてみると、菊の話は私の花への向き合い方そのものなのだと、改めて気が付きました。