答は風の中
今日は大覚寺で嵯峨御流のお稽古で、お花が包まれた新聞紙を広げると、見知った歌詞が目に映った。
日経新聞に出された、ソニーミュージックの全面広告。日付は去年の12月11日だった。
-彼が受賞したとき、この歌が最も流れた
「風に吹かれて」
彼の名は、ノーベル文学賞受賞者、ボブ・ディラン
新聞の一面の真ん中にどんと、歌詞が載せられていた。
暗い、悲しいニュースが多い毎日で、ミュージシャンがノーベル文学賞を受賞したことは、とても希望あることに思えた。
「言葉」が活字のほかに様々な媒体にのせて人々に伝えられていくこの社会で、言葉を司る世界最高峰の賞が、活字でない言葉を認めたということは。そしてソニーミュージックが、発売したばかりの彼のベスト盤の広告に選んだ媒体は、授賞式の次の日の朝刊だった。
音楽として表現されたその作品は、活字になってなおこんなにも力強い。だけど日本語に訳されたその言葉を心の中で私の声が読み上げていくと、「The answer, my friend」とボブ・ディランのあの耳に触る歌声が、遠くでずっと響いている。あのシンプルなのに細く鋭く心に響く、美しいギターの音色にのって。そうして気が付く。活字になってなお力強いこの言葉は、それでもやっぱり音楽でしかないのだと。
良い広告だと思った。
昔大学の広告論の試験で、「広告は芸術と言えるか論述せよ」という問題があった。私は偉そうに「芸術になり得るが、芸術であってはならない」と書いた記憶がある。もし今書き直せるとしたらこう続けたい。
「芸術になり得るが、芸術であってはならない。そしてそれは、花に似ている」(と思う)
-その答は、友よ、風に吹かれている。
その答は風の中に舞っている。