水神

“高瀬川彫刻展2013″出品;2013年11月1-10日 京都、高瀬川
Flower; 石化柳

この年の秋、京都を、とても大きな台風が通過した。
生まれてからずっと京都に住んでいるけれど、 鴨川が、あんなに荒れているのを初めて見た。
土砂降りの五条大橋に立つと、橋の真下まで濁った水が溢れている。
カップルが並んで座る西岸も、東岸の散歩道も、 ごうごういいながら呑み込まれている。
川幅が、異様に広くてぞっとした。
狂ってコントロールを失った水が、 それでも敵意をもって押し寄せて来ているみたいだった。
上流で、水の神様が怒っている。
そんな考えが頭をよぎり、自分でも驚いた。
でも昔の人はそうやって、自然を、神様の存在を、 畏れ敬いながら共に生きてきたのだろう。
私たちは、自然のありがたさも神様の存在も忘れてしまった。
思い出さなければならないと思った。 自然を支配するのではなく、共にその中で生きるために、
私たちは神様や神社を作り上げた。
その風土の中で、生け花が生まれたことを。

「”高瀬川彫刻展”に出品してみる?」とお誘いいただいたとき、正直とても戸惑いました。私は、彫刻なんて作ったこともありません。川の、自然の中に、生け花作品を展示するのも初めてです。それでも私は、「生け花」をいけなければ、と思い、取り組み始めました。
花で龍の姿そのものを作ろうとすると、それは多分「彫刻」なのだと思います。でも、「龍がいたと感じられるような花」をいけようとするなら、それは、「生け花」なのではないでしょうか。
水の神様、龍が去った後はきっと、木々は吹き荒れる風に舞い、落ちた鱗が川面をきらきら光らせます。そしてもし私たちがその存在を信じるのなら、誰も見たことがないような、きれいな青い花を残していってくれるのかもしれません。
自然の中に花をいけること、彫刻と生け花の違い、そんなことを、考えるきっかけを与えてくれた作品です。