ダンス・ダンス・ダンス

「盆踊り」をしに、郡上八幡に行きました。

 

毎年7月から9月にかけて、33夜行われるという郡上踊り。

ぱらぱらぱらとやみそうにない雨が降る夜、盆踊りなんか本当にやっているのかなと

雨の音に混じって水の流れるのが聞こえるそのまちにおりてみると、

やぐらが建てられた通りには、浴衣を着た人であふれていました。

やぐらから漏れる灯りの下、輪の前で驚いていると

色とりどりの浴衣に大きすぎる輪。

子供も大人も同じように手を上げ足を折り拍子を打って、ぞろぞろと輪は動きます。

わからないまま輪の中に入って、傘から落ちてくる雨の粒ごしに

まわりの踊りに合わせます。

少し振りを覚えて顔を上げてみると、郡上の人々(すぐにわかる)の上手な踊りに見惚れ、

彼らが着ている浴衣に見惚れ、また振りを忘れます。

極彩色の浴衣をからげきっぱりと、でも歌うように泳ぐように自然に踊る郡上の人々。

振りなんてはじめから、体の中に刷り込まれているみたいでした。

制服に下駄を履いた女子中学生。

世間話をしながら回るおばちゃんたち。

格好いい。

そこでは何百年前にできた踊りが現代に、現代の人によって楽しまれていました。

踊りを楽しみ、浴衣を楽しむ。鮎を楽しみ夏を楽しむ。

「守られている」、ではなくて。

 

「『伝統』なんて、言ってる時点であかんねん」。

生け花をこのままにしておけない、でもどうしたらいいかわからないと

こぼしたたとき、言われた言葉を思い出しました。

日本にも京都にも、そこにしかない素晴らしいものがあります。まち、建物、文化。

でもそのほとんどが「伝統」にされ守られて、

現代を生きる私たちの生活から、切り離されてしまっているように思います。

ちょうど、かつてはただの生活雑貨だったはずの器なんかを、

博物館のガラスケースに入れてしまうみたいに。

そこでは人に使われることも痛むこともなく、

そのままの形でこれからも保存していくことができます。

でもそれは、「私たちの時代ではもう、眺める以外に楽しむことができません」という落款。

郡上踊りは踊られています。

郡上の人々に、郡上のお兄さんに子供たちに、お母さんにおばあちゃんに、郡上を訪れる人すべてに。

もしかしたら、振りは昔とは変わっているのかもしれないし、

浴衣の着こなしは2015年のものです。

でも毎年、踊られています。

だから郡上踊りは、博物館に入れることができません。

それは、日本の古いものの、理想の形だと思うのです。

着物も器も仏像も、みんな博物館の中に入れられていきます。

でもぜんぶ、人々が生活の中で使っていたものです。

日本には、博物館に入れるべきものなんてなかったのです。

踊らなきゃ。踊り続けなきゃ。

全部「伝統」にされたらたまらない。こんなに格好悪いことはない。

 

Back▶▶▶旅行記・水のまち ~郡上八幡 2016、夏~ 

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