竹のある暮らし

二十四節気をさらに3ずつ分けた暦に、七十二候がある。

 

今日、5月18日は立夏の第3「竹笋生(たけのこしょうず)」。字の通り、筍が芽を出す頃、という意味である。5月も半ばを過ぎてから筍の新芽とは少し遅い気がするけれど、竹にもいろいろと種類があって、それによって芽が出る時期も違うそうだ。「竹笋生」の筍は、5~6月に旬を迎える真竹だといわれている。竹は北半球の温暖・湿潤な土地に分布し、特にアジアの熱帯・温帯の地域に多い。世界に1200種、日本にはそのうち600種が生息するらしいので大したものだ。思い返してみれば、実家の周りも竹藪だらけだったし、ちょっと旅行に行けば竹藪があったように思う。きっと多くの日本人にとって、竹というのは田んぼと同じくあまりにも見慣れた風景で、それだけが広がっていると「何にもない」と感じてしまうのだろう。

 

そのくらい身近なものである上に、丈夫で加工がしやすく、節と節の間(竹簡・ちっかん)は管になっており空洞で水をためることができるので、かごやざる、花器などの日用品から玩具だけでなく、日本文化を代表する茶道や華道の道具、笛や尺八などの楽器、竹刀や弓などの武道具など、ありとあらゆるものに使われてきた。
竹にはさらにもう一点特徴がある。成長の早さだ。筍の食べ頃は、芽が出てからわずか10日間。その後は日を追うごとに硬く食べづらくなっていく。ひと月を10日ごとに分けることを上旬・中旬・下旬というが、これは筍の「旬」が語源らしい。その成長スピードは竹になってからも変わらず、1年あれば見上げるほどに成長する。1日(24時間)に、マダケで121cm、モウソウチクで119cm伸びたという記録があるそうだ。

 

丈夫で実用性に富み、すこぶる成長が早いのに中は空洞。今日見た竹が次の日に1メートルも伸びていたら、きっと昔の人は、夜のうちに不思議なパワーを得たち違いないと思っただろう。かぐや姫の物語はそんな風にできたんだろうか。
竹と暦といえば、「竹の秋」という言葉ある。秋といいながらもこの言葉の季語は春。多くの植物が秋に葉を色付けるのに対して、竹は春に葉を黄色くする。筍に栄養を回すため古い葉を落とすのだそうだ。その姿を秋に喩えた、日本らしい美しい表現だと思う。

 

かつて竹で作られた日用品をリーズナブルに手に入れようと思うと、多くがプラスチック製に取って代わられていることに気が付く。丈夫で水を通さず加工がしやすい。確かに性質は竹に近いものがあるのかもしれないけれど、竹で作られたものたちの機能的でありながら美しい様はやはり日本らしい美意識を感じさせる。

 

今回の花いけ部は、そんな竹を器にお花をいけ、高瀬川に並べてみました。

▶京都木屋町花いけ部 2019年5月18日の回にてお話させていただいた内容です。
DSCF0453

参考ページ>農林水産省 特集1竹のおはなし
(2019年5月17日最終アクセス)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

前の記事

「連ねる」

次の記事

生花 カキツバタ