花は一種、茶は服の良きように

2017年06月13日

お花をいけさせていただいているお店の社長にはじめ、「一種にしてほしい」と言われた。
一瓶につき、一種の花。なんでかな、と思った。

花を習った人にとって何種類か、あるいは何種類もの花を一つの器にいけるのは、わりと普通のことだ。というかどちらかというとそれがオーソドックスで、「花をあまり使わない」と言われるいけ花でさえ、生花(古典いけ花の一つ)でなければ2~3種類は使う。花を一種にしたとしても、別の種類の葉っぱを入れたりする。足元を隠した方がきれいだから、とかそういう理由で。

私もはじめは一種と言われても、何か葉っぱを合わせたりしていた。ある時社長が「一種」の理由を話してくれた。

「お客さんに花の名前聞かれたとき、あれこれ入ってるとわからへんから、一種の方がいい」

あ、と思った。「これなんていう花?」「アジサイです」、「これなんていう花?」「ヒマワリです」。一種類の方がお客さんも興味を惹かれるし、お店の人は答えやすい。そこがスムーズにいくと、何かそこから話が広がるかもしれない。きれいにいけられているのは当然だけれど、なんのためにお店にお花をいけさせてもらっているのか。お店の人は、誰のためにお花をおきたいと思っているのか。花を習った人にとっての「普通」が、そんなに単純なことを忘れさせてしまっているのだ、と思った。

千利休の言葉に、「茶は服の良きように」という言葉がある。「お茶は、飲む人にとっておいしいと思うようにたてよ」という意味だそう。これは、ある人が利休に「茶の湯の心得、極意を知りたい」と尋ねた。すると利休はあまりにも普通のことを7つ答えた。「利休七則」というやつだ。その最初の言葉、「茶は服の良きように」。聞いた人は不満そうな顔をして、「そんなことはだれでもわかっていることでしょうに」と言い返すと、利休は答えた。「もしそれがちゃんとできている茶会をすることができたら、私はあなたの弟子になりましょう」。

大切なのはルールを守り続けることなのではなくて、問い続けることなのだと思った。誰のために、何のために、花を、いけるのか。

IMG_2228